海上自衛隊が運航する南極観測船「しらせ」は、人員や物資の輸送用に大型ヘリコプターを搭載している。花形はパイロットかもしれないが、南極のような不整地での着陸や人員の誘導に欠かせないのが荷室に乗り込む「航空士」の存在だ。操縦席より後ろのことは全て航空士の仕事といい、ヘリ飛行を支える縁の下の力持ち。今回は、そんな海自の乗組員を紹介しよう。(気象予報士、共同通信=川村敦)

 ▽「命預かる覚悟」

 「10度右に」「1メートル右」。最終的な着陸体勢に入ると、ヘリの横扉から身を乗り出して機体の下をのぞき込む。南極では大きな石がごろごろする岩場や、何の目印もない氷の上に着陸することは珍しくない。航空士は、操縦士の見えないところを確認し、インカムで伝えている。

 しらせに搭載する海自のヘリコプターは「CHー101」(以下CH)2機。貨物搭載量4トンの大型だ。観測隊を昭和基地から遠方の野外観測へ運んだり、物資を輸送したりするのに活用している。荷室には2人以上の航空士が乗り込む。今回、しらせに乗り組む航空士は5人いる。

 取材したのは、そのうちの浜田佳祐(はまだ・けいすけ)2曹(37)と竹本宣久(たけもと・のぶひさ)3曹(28)。2人によると、航空士の仕事は、救難をはじめ人員の乗り降りの誘導、荷物の積み降ろし、目印の投下、記録のための写真撮影など多岐にわたる。

 むきだしのローターが高速回転しているヘリコプターの乗り降りは、不用意に近づくと危険だし、大型とはいえ機内は狭く、荷物は非常時の脱出経路なども考えて積まないといけない。記者も、野外観測に出る際などは2人のお世話になった。

 今回、初めてしらせに乗り込み南極で仕事をした竹本さんは「日本だと着陸するのはせいぜい学校のグラウンドくらい。実際、南極に来てみて、(昭和基地から数十キロ離れた)パッダ島なんて、岩は出っ張ってるし。『はあ? 降りられるの?』って」と驚いた。

 2回目の南極となった浜田さんは「みんなの命を預かっている覚悟。マニュアルでは対応できない。航空士がいないと絶対に成立しない着陸。こんな不整地に降りるのは南極くらいでは。すごくやりがいを感じる」と話す。

 しらせは横須賀が母港だが、CHの整備拠点は山口県の岩国基地。そのため、国内にいるときは岩国と横須賀を行ったり来たりの生活だそうだ。

 ▽ラッキー重なり、南極へ

 そんな2人が、どうして海自に入り、南極に来たのだろうか。

 宮崎県出身の浜田さんは高校卒業後、県内にある土木関係の学校の指導員助手をしていた。その後、水泳のインストラクターや工場での勤務など転々としていたという。

 きっかけは、当時は交際中だった今の妻からの言葉。「会社の人から、お見合いを勧められている」。これは他の男性に取られるとあせった浜田さん、定職につくべく公務員になろうと思って受けたのが海上自衛隊だった。24歳で入隊し、適性検査の結果、航空士の適性があるとされた。

 「海自だから船か潜水艦かと思っていた。航空隊があるのも知らなかった。航空隊があるなら航空に行こうと思った」と浜田さん。そして周りから南極の話を聞いて「なんでというのはなく、ただ行ってみたいなあと。希望を出したら通って、なんとなくでここまで来た」と笑う。

 竹本さんは山口県出身。高校卒業後の進路として警察官を目指し、山口県警を受験したものの不合格だった。一方で、部活の先輩が海上自衛官だった縁で受けた海自には合格。同時期に、刑務官の試験にも合格した。

 「そのとき、子どものころ家族で、岩国基地のヘリの前で撮った写真が親から送られてきて。そういえば、家の屋根に布団をひいて空を見るのが好きだった。海自のヘリに乗ろう、それで自衛隊に入ろうと思った。あの写真がなかったら違う道を選んでいたかも」

 岩国基地の部隊に配属となり、CHと同型の「MCH―101」に乗っていた。周りには南極でCHに乗ってきた隊員がたくさんいた。「なかなか行けないところ。行けるなら行ってみたい」と希望し、今回につながった。山口県警の警察官になっていたら、南極に来る機会はなかっただろう。「ラッキーが重なって南極にこられた。不思議な感じ」と話す。

 竹本さんの印象に残っているのは、昭和基地から約120キロの「インステクレパネ」。着陸したのは岩場だが、すぐ近くには南極大陸の氷床や、巨大な白瀬氷河。「周りは全部白。なんてとこに来たんだと涙が出そうになった」。記者も、海外旅行などに行って茫漠とした景色を見ると、涙が出そうになることがある。この感覚、分かるなあ。

 浜田さんと竹本さんは、しらせに乗る前から同じ職場であることが多く、家族同士でバーベキューをやるほどの仲良し。ひょうきんな人柄で観測隊員にも親しまれている。航空士の仕事について竹本さんは「フライトが楽しくて仕方ない。疲れるが、毎回着陸して、ローターが止まったとき、きょうも1日安全に飛べた、やりきったなって」。浜田さんは「チャンスがあるならまた来たい。子どもも父親がヘリに乗っていることを喜んでいる」と語る。

 ▽取材を終えて

 これまで、安全保障法制や憲法の取材で自衛隊について考えることも多かった。ただ、取材してきたのは主に学者や国会議員、有識者だった。自衛官に対する取材は防衛省担当の記者に任せていて、現場の自衛官に接する機会はあまりなかった。今回、この2人だけでなく、しらせの中で日夜顔を合わせ、雑談も含めていろいろ話を聞くことができた。組織としてはその性質上、非常にお堅い自衛隊だが、自衛官ひとりひとりは親しみやすい人が多いという印象を持った。同行取材は、本当にいろんな人に会える。