駄菓子の定番で昔懐かしいコンペイトーは、実は、生産に手間がかかることをご存じだろうか。菓子の種類は年々多様化が進んでいて、手間の掛かるコンペイトーの製造会社は減ってきている。そんな中、大阪府八尾市の「大阪糖菓」では、3代目を継いだ女性の野村しおり社長(43)が「食べる以外にも可能性を広げたい」と大胆な発想で次々と新商品を開発、海外にも乗り出そうとしている。(共同通信=野澤拓矢)

 ▽外国生まれ

 1月、八尾市にある同社の本社工場を訪ねると、ポルトガルの伝統衣装に身を包んだ野村社長が迎えてくれた。「衣装はコンペイトーの歴史と関係がある」という。

 同社などによると、コンペイトーはポルトガル語で砂糖菓子を意味する「コンフェイト」が語源。1569年には宣教師ルイス・フロイスが織田信長に献上したとされる。カステラなどと同時期に日本に伝来し、江戸時代には公家や上級武士の間で茶菓子として珍重された。後に庶民にも広まり、日本でなじみ深い菓子となった。

 ▽完成までに1〜2週間

 製造工場には、斜めに置かれた直径約2メートルの釜がいくつもならぶ。それぞれがゆっくりと回転し、中に入った色とりどりのコンペイトーが音を立ててまぜ合わさっていた。釜の熱気で室温は真冬でも約30度。「もっと温度が高い方が出来が良い。過酷だが50度を超える夏場が旬かもしれない」と現場にいた職人は話した。

 コンペイトーの芯となるのはグラニュー糖の粒だ。砂糖の蜜を5〜10分おきにかけ、釜の熱と回転で乾燥させる。蜜をまとって1日に直径約1ミリずつ大きくなる。この工程を1〜2週間繰り返し、やっと凸凹した突起が特徴の完成品に仕上がる。

 ▽外国人に人気

 せっかく手間をかけて作っても、近年はなかなか消費が伸びない状況になっている。健康志向の高まりから、砂糖の摂取を敬遠する動きがあったり、少子化が進んでお菓子を食べてくれる子どもの数が減少したりしているからだ。野村社長は「国内の消費増加は望めない」と厳しい表情を見せる。

 現在、主な販売先となっているのが国内観光地の土産を扱う卸問屋だ。野村社長は複数の色を組み合わせて桜や紅葉などを表現したカラフルな商品が訪日客の間で人気があることに気付く。「彼らはコンペイトーで日本の四季を楽しんでいる。もっと仕掛けてみようと思った」

 昨年2月に外国人スタッフを採用し、会員制交流サイト(SNS)で英語や中国語などでの発信を始めた。大阪府や福岡県の工場で開催されるコンペイトー作りの体験教室に訪れる外国人は、15年の約70人から19年には約200人に増えた。

 同社は海外へ目を向け、動き始めている。砂糖消費量が多く、需要の見込まれる東南アジアなどに野村社長自らが出向いて、開拓に挑んでいる。

 ▽食べるだけじゃない

 同社のコンペイトーは100種類を優に超える。「これほどのバリエーションは他社にないだろう」と胸を張る。顧客の要望に応じて作ることもある。色だけでなく味もさまざまで、ワインやコーヒーを使った変わり種もある。

 野村社長は輸出戦略を進める一方で、意外な商品も展開し始めた。「もっと日常の身近なものにしたい。食べ物という先入観を捨てて考えた」。砂糖の持つ保湿効果に着目。コンペイトーの原料を砕いて、粉砂糖を配合したせっけんやリップクリームを発売した。さらに、見た目のかわいらしさに注目し、16年には本物のコンペイトーを使ったピアスも売り出した。

 ▽まさかの打撃

 世界的な新型コロナウイルスの感染拡大によって日本国内の観光業が打撃を受け、同社にも深刻な影響が及んでいる。

 「土産店がほとんど休業し、小口の注文しか入らなくなった」と野村社長は肩を落とす。4月の売り上げは前年同月比でほぼ半減した。

 感染予防のため、最大60人受け入れていた体験教室は中止に。パート従業員のうち高齢者や妊婦は収入の6割を保障して自宅待機とした。「先が見えず本当に苦しい」

 だが需要の回復を信じて、今できることを続けるつもりだ。「何とかこの難局を乗り切る。今は新商品開発に取り組むチャンスと捉えたい」と前を向いている。