赤い細胞が環状に連なり、目のような細胞核が特徴的な奇抜なデザイン―。2025年大阪・関西万博の公式ロゴマークを制作したのは、大阪市のデザイナー事務所メンバーらでつくる「TEAM INARI」だ。発表会見で「こいつ(ロゴマーク)が万博の顔になるなんて」と声を震わせた代表のアートディレクター「シマダタモツ」さん(55)に、作品に込めた思いや自身のデザイナーとしての原点について聞いた。(共同通信=大野雅仁)

 ▽岡本太郎マニア

 シマダさんは大阪市東住吉区出身で、今も同区在住の根っからの「浪速っ子」だ。子どもの頃からノートに人気ロボアニメ「マジンガーZ」の落書きをするなどして絵に親しんできた。

 5歳の時、家族と訪れた1970年の大阪万博(大阪府吹田市)で、「芸術は爆発だ」で有名な故岡本太郎(1911〜1996)作「太陽の塔」の独創性に衝撃を受けた。「中にある『(人類までの生命の進化をたどった)生命の樹』もそうだが、塔自体の形状の珍しさ、大きさ。そのスケール感に圧倒された」。この体験が「デザイナーとしての原点」と語る。

 自他ともに認める岡本太郎マニア。太陽の塔のデザインをあしらったコップやしょうゆ差しといった昔のグッズを収集し、作業場には太陽の塔のミニチュアを置いている。岡本とは誕生日が一緒といい、「太陽の塔造った人と一緒なんやって。縁があると思うとうれしかった」。万博跡地の「万博記念公園」を今も定期的に訪れては、塔を見上げて「元気をもらっている」という。

 高校卒業後はデザインの専門学校へと進んだ。だが〝矢印を百本書きなさい〟という課題に対し「なんで、こんなことせんといかんのや」と授業内容に疑問を抱いた。入学後すぐに中退。「母から『入学金なんぼ払ってんねん!』と怒られて、それで母が経営する喫茶店で働き出しました」と苦笑しながら振り返る。

 喫茶店にはデザイナーが多く出入りしており、母のつながりでデザイン事務所に入った。ただ当時はでっち奉公のような扱い。「かばん持ちみたいな状態で、先生の横に付いてるだけ。何かを教えてもらった記憶はないんですよ」。傍らで仕事の様子を目で追い、必死になって技術を盗んだ。

 26歳で独立。制作ポリシーは「おもろいこと」だ。「影響受けたのは吉本新喜劇かな」と冗談を飛ばしつつ、「他の人と違うことをしたいというか、自分の色を出したい。ギャグを言うのとは違う面白さ。デザインするって、めっちゃ楽しいんです」。既成概念にとらわれない遊び心のあるデザインを次々と生み出しては国内外の賞を獲得し、実績を積み上げていった。名前表記を片仮名にこだわる狙いについては「親父に悪いけど、漢字だとバランスが悪い。片仮名だと字面が縦で見ると綺麗でバランスがよい。パッと目にもつきやすい」と明かす。

 ▽70年万博の「DNA」

 2018年に再び大阪での万博開催が決まり、「何かしら関わりたい」と公式ロゴの公募に挑んだ。「いつも仕事しているメンバーに『面白いし、やってみようや』って。太陽の塔のようなパンチの効いたものを作りたかった」

 たたき台となった「個体を連ねる」という考えは、シマダさんが発案した。同じものを並べていたが、それぞれ楕円など少しずつ形を変えたりして十人十色のように個性を際立たせた。さらに議論を重ねるうちに、チームの一員であるコピーライターの上村慎也さんから「細胞」(CELL)というアイデアが提案された。上村さんは「『いのち輝く未来社会のデザイン』という万博のテーマがあったので、生物の根幹である細胞と定義したら親和性が生まれると思った」と説明する。

 「全部に細胞核を入れたら気持ち悪い」「環状の中を大阪の形にしたらどうか」などと意見が相次ぎ、試行錯誤を繰り返す中、70年万博のシンボルマークを見返してみた。

 「青色の桜の花びら五つをモチーフにして、今のデザインに宿した。70年万博のDNAを表現した」とシマダさん。ひときわ目を引く赤と青の組み合わせは、岡本さんがよく使う配色も意識したということだ。「赤は生命力、青は70年万博のマークや水都大阪をイメージした。太陽の塔には目があるが、岡本さんは作品の中に目を描くことで生命を表現することがあり、その点は通ずるものがある」と語った。25年万博のテーマ、70年万博との時代を超えた祭典の連続性、自身の原点である岡本太郎への尊敬の念―。こうしたメッセージを重層的に織り込んだストーリー性のある作品が完成した。

 ▽「さすがに決まらんやろ」

 出来上がったロゴについて、シマダさんは「『さすがに(これには)決まらんやろ』というぐらいエッジが効いて、僕の中で新しいもの。審査員がよく選んでくれました」としみじみ語る。応募5894点の中から最優秀作品に輝いた瞬間、ホテルの会場で、思わず拳を握りしめ「よっしゃ!」と雄たけびを上げた。そして涙ながらに喜びの第一声を壇上で発した。シマダさんは歓喜の時を振り返り、「バサッと布が外れたあの瞬間に初めて知った。事前に知らされてたら、泣きませんよ。しゃべり下手やし、それなら原稿も用意してましたしね。あの瞬間は真っ白だった。信じられないというか…」。

 最優秀作品は、最終5候補の中から選考委員会が多数決で決定した。TEAM INARIの作品は、11人中8人の票を獲得した。座長を務めた建築家安藤忠雄氏は「今までのロゴは左右対称で安定しているが、(これは)違った方向を向いて予定調和ではない。大阪らしい楽しさもあり、新しい時代を切り開こうとする意志がある」と評価する。

 ▽付いた名前は「いのちの輝きくん」

 ロゴマーク公表後、会員制交流サイト(SNS)上では「気色悪い」「選び直して」などと辛口の意見も相次いだ。一方で「ひらけ!ポンキッキ」の人気キャラクターのムックやスナック菓子「キャラメルコーン」の図柄と似ていると話題に。「慣れてかわいく思えてきた」という声も徐々に目立つようになった。多くのイラストや動画が投稿されたほか、ロゴマークを模したパンや、編み物を創作する人も出て、一時、ツイッターのトレンドワードで国内上位に躍り出た。

 松井一郎大阪市長は「興味を持ってもらうのが一番大切。常識を打ち破るものを選んでもらった。賛否があふれているが、万博の注目度は上がっている」と満足げだ。

 シマダさんは「好き嫌いのいろんな声も、ロゴを使った二次創作の数々にも『そういう意見もあるんや』『このアイデアええな』って、こちらも楽しんでいる。無視されるのが一番嫌ですからね」と、反響がある展開に目を細める。

 ところで、SNS上では「いのちの輝きくん」というロゴの愛称が既に定着している。「名前が付いちゃったから、『もうええか、いいよな』は思うけど」としつつ、万博の運営主体である日本国際博覧会協会との関係で「そこは答えられない」と残念がった。

 太陽の塔も、建設当時はデザインへの批判が強かったが、次第に支持の声が広がっていた。当初は万博後に解体する計画だったものの保存することに。岡本氏は「誰にも好かれない『ベラボー』なものを作ることにしたので、残すことなどみじんも考えなかった」と後に語ったが、今も70年万博の象徴として市民、国民に愛され続けている。

 ▽「すげーな」って万博に

 自身が率いるチームの作品がシンボルとなる25年万博に、どんな光景を思い描いているのか。シマダさんは、プロデューサーを務める映画監督の河瀬直美さんの発言に引き合いに「『おもちゃ箱をひっくり返した』ように楽しく、かしこまったイベントというよりはみんなが元気になれる万博になればいいですね。70年万博のときはすげーなって感じたので。プロデューサーの人たちが面白いモノを作られるでしょうから、楽しみにしていますよ」と目を輝かせた。