日本学術会議は1949年、科学者が戦争に協力した過去への悔恨を胸に刻んで出発した。発足時の声明の「わが国の科学者がとりきたった態度について強く反省」という言葉がそれを示す。その原点と、このたびの菅首相による会員の任命拒否は関係があるのだろうか。学術会議の出発点から時をくだり、いくつかの歴史の結節点を振り返って、それを探りたい。 (47NEWS編集部・共同通信編集委員=佐々木央)

 ■朝鮮戦争直前に出された声明

 日本学術会議は発足の翌年、50年4月28日に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を採択した。全文を引用する。

 ―日本学術会議は、1949年1月、その創立にあたって、これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに、科学を文化国家、世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。

 われわれは、文化国家の建設者として、はたまた平和の使徒として、再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに、さきの声明を実現し、科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する―

 声明がごく短いのは、議論の末に原案から国際情勢に対する認識が削除されたためだ。原案は「再び戦争の危急を感知せざるを得ない情勢」としたが、「穏当でない」「一体どういう根拠に基づいて言っているのか」と反発が出た。

 しかし、それから2カ月もたたずに朝鮮戦争が始まり、日本は出撃基地となる。この戦争は政治経済や外交などあらゆる面で戦後の大きな岐路となった。日本は再軍備を進めていく。後から見れば、危機を訴えた人たちの方が正しかった。

 ■始まっていた政治からの退却

 隣国で起きた戦争は、科学界にも、科学者たちの意識にも大きな影響を与えた。

 翌年1月の学術会議総会に「科学を守るために戦争へのあらゆる準備に反対する声明」が提案されたが、字句や説明の不備を指摘され撤回に追い込まれた。同年3月、「戦争から科学と人類をまもるための決議」が再提案される。

 ―(略)最近やかましく論ぜられている再軍備は、平和主義日本国の科学者の任務たる平和のための科学とその研究の自由を圧迫し、すすんではこれを破壊するにいたる虞(おそれ)がある。(略)再軍備および再軍備等によって惹起される戦争から科学と人類をまもるためにいっそうの決意と努力をすることをここに表明するものである―

 提案者には桑原武夫(文学)、務台理作(哲学)、新村猛(言語学)、上原専禄(歴史学)、坂田昌一(物理学)らの名前が並ぶ。雑誌『日本評論』(1951年5月号)が掲載した速記録全文によれば、論議の焦点は「再軍備」「憲法9条」、そして学術会議が政治的問題について発言・関与することの是非であった。激論が交わされ、採決の結果、賛成64、反対92、棄権5で、提案は退けられる。

 51年2月の講演会で、坂田昌一が科学者に対して、受動的な態度を捨てて社会に向けて主体的な態度をとるよう求め、法学者の末川博も「平和のための戦い」を呼びかけたが、この時点で既に、政治的な課題からの退却が始まっていた。

 ■米軍資金を使って半導体国際会議

 学術会議と軍事をめぐる次の結節点として、1967年10月の「軍事目的のための科学研究を行わない声明」がある。

 朝日新聞のスクープがきっかけだった。「物理学会に米軍資金/国際会議に補助」という見出しで、66年9月に開催された半導体国際会議に米軍の資金援助があったと報じた。半導体国際会議は日本学術会議後援(日本物理学会主催)だった。

 学術会議は大きな衝撃を受ける。これを受けて総会で提案された声明案には、より厳しい表現を挿入するよう、修正が提案された。「日本の科学者の反省の上に立って学会内部から提起されたのではなく、外部から提起されて学会、学術会議の問題になったことを遺憾とする」という文言である。修正の提案者が、学術会議発足時の声明にあった「反省」の風化または空洞化を懸念したことは明らかだが、支持されなかった。採択された声明の結論部分だけを引く。

 ―ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果がまた平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する―

 ■軍事研究を解禁するべきか

 三つ目の結節点は2017年の「軍事的安全保障研究に関する声明」であって、これは最近の報道でもしばしば言及されている。

 発端は15年10月の総会における大西隆会長(当時)の報告だった。会長は「防衛省や米国防総省等の競争的資金による研究公募に対する考え方等」を課題として上げた。学術会議が編集協力する『学術の動向』(15年11月号)には「会長からのメッセージ」として、1950年と60年声明の「戦争を目的とする科学の研究は行わないという主張は…現在でも継承するべき」としながらも「自衛隊に対する国民意識の変化、科学研究成果が自衛装備に既に深く関わっている現実等を踏まえて議論を進めるべき」と述べ、実質的な路線変更に向けて、やや前のめりな姿勢を示している。

 軍事研究がテーマとして浮上した大きな理由として、2015年度に創設された防衛省の「安全保障技術研究推進制度」があった。防衛装備庁の現在のホームページは、この制度について「防衛分野での将来における研究開発に資することを期待し、先進的な民生技術についての基礎研究を公募する」と説明する。50年・67年声明からみて、科学者がこれに応募することは許されるのか。

 科学の立場から平和を求める活動をするどころか、軍事研究に踏み込むことも可能にしようというのだから、大きな波紋が広がった。16年6月、学術会議は「安全保障と学術に関する検討委員会」を設置、11回計21時間30分の議論を重ねたという。

 声明は最初の段落で、1950年と67年の声明を捨てずに「継承する」と宣言する。

 次いで「科学者コミュニティが追求すべきは、何よりも学術の健全な発展であり、それを通じて社会からの負託に応えること」と立場を鮮明にし、その手段として研究の「自主性・自律性・公開性」を強く求めた。

 その上で、軍事研究ではこれらが損なわれる懸念があると指摘、具体的な検討対象である安全保障技術研究推進制度は「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と見解を示した。会長の提案は押し戻された。

 ■真理には国境も国益もない

 この流れをたどってくると、いくつもの問題や限界はあるにせよ、学術会議が一貫して「平和」と「学問の自由」を求め、少なくとも、あからさまな軍事研究を拒んできたことが分かる。末川博の言葉を借りれば「学問は政治の侍女にはならない」(いま言い換えるなら「しもべにはならない」)という意思は明白だ。まことに、真理には国境も国益もないというべきか。

 このような学術会議の来し方を官房長官時代からじっと見てきた菅首相が、介入の機会をうかがってきたと考えれば、任命拒否の理由を説明しないことにも納得がいく。任命拒否は“開戦”のきっかけに過ぎなかったのではないか。本丸は学術会議そのものであって、本丸が破壊されれば、任命拒否問題など吹っ飛ぶ。あまりにも素早い自民党のプロジェクトチーム設置や、国家基本問題研究所の学術会議解体を求める意見広告も、この推測を後押しする。

 最後に付言すれば、この間、学術会議のことを調べて驚いたのは、対立を恐れず徹底して議論していること、そして、その討議の記録や関係資料のほとんどを保存し、公開していることだ。この連載もそれによって書くことができた。

 都合の悪い記録は残さず、文書や資料は廃棄・隠蔽し、見つかっても公開を拒む政権にとっては、その姿勢こそ最大の脅威であるかもしれない。

 その徹底して民主的なあり方は、会長が示した方向性をも覆した。しかしそれは逆に、あたかも史上最も民主的とされたワイマール憲法体制下でナチスの支配が始まったように、民主的な決定によって軍事協力に突き進む危険性もはらんでいる。

 原点にあった「反省」が消え失せたとき、それは起きるかもしれない。恐ろしいことだが、歴史を俯瞰したとき、その萌芽もまた、既に見えているように、わたしには思われる。(おわり)

◇本文に明記したもののほか、主として次の書籍や文献を参考にした。

 日本学術会議のホームページに公開されている各種記録▽小沼通二「軍事研究に対する科学者の態度―日本学術会議と日本物理学会(1)〜(4)」(『科学』2016年10月号、同11月号、17年2月号、同6月号)▽井野瀬久美恵「軍事研究と日本のアカデミズム―日本学術会議は何を『反省』してきたのか」(『世界』17 年2 月号)▽『「学者の森」の40年』(福島要一)▽『日本学術会議25年史』(日本学術会議)

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