立憲民主党と国民民主党の合流協議は11日、国民民主党が分裂し、その一部議員(規模感は未定だが)を立憲民主党が迎え入れる形で幕を閉じる見通しになった。国民民主党はこの日、合流の可否をめぐり臨時執行役員会を開催。終了後の記者会見で、玉木雄一郎代表は同党を合流賛成派と反対派に「分党」する考えを表明した。しかし泉健太政調会長は分党は了承されていないとの認識を示し、認識の違いが表面化した。現時点では役員会の決定が正確に読めていないわけだが、このままではもしかしたら「党首の離党」という異例の事態すらあるかもしれない。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 半月前の7月22日、筆者は小欄(「立憲民主と国民民主が折り合うべき場所 民主党再結集か、強い「野党」の確立か)で、合流協議に関し、玉木氏が折れて立憲民主党の党名を受け入れることを提言した。協議はすでに立憲の側に「勝負あった」とみたからだ。もし、玉木氏があの時点で合流を受け入れていれば、参院の一部などが合流せずに離党したとしても、党が一つの「塊」として、立憲民主党との合流に「対等に」臨むことも可能だったのかもしれないと思う。

 しかし、玉木氏にそれを望むことは無理だった。党として合流協議を進めていたはずの玉木氏自身が実は合流に反対だった、という笑えない現実が、最終局面で表面化したからだ。

 少し経緯を振り返りたい。

 もともと合流を強く求めていたのは、立憲民主党の枝野幸男代表よりも玉木氏の方だった。「分党」を表明した11日の記者会見でさえ、玉木氏は「私がかねて主張している『大きな塊』」という表現を使っていた。

 国民民主党は前身の民進党から引き継いだ組織や資産を持ち、2年前の結党段階では、政党の総合力としては野党第1党の立憲民主党を上回る面もあった。国民民主党は昨年春、ベテランの小沢一郎氏が率いる自由党と合併。玉木氏率いる国民民主党が、小沢氏や支持団体の連合の力を借りつつ、単独での党勢拡大を目指す立憲民主党を突き上げる展開だったことは、記憶に新しい。

 ところがこの形勢は、同年夏の参院選を機に変わり始める。

 参院選で立憲民主党は議席をほぼ倍増させ、国民民主党は伸び悩んだ。秋の臨時国会以降、立憲民主党側の呼びかけで両党の会派合同が実現。「桜を見る会」問題、新型コロナウイルス問題など、さまざまな課題で協力して安倍政権の追及を重ねるうちに、安倍政権は自滅もあって支持率を大きく落とした。両党議員の間である種の成功体験が共有され、特に衆院において「緊張緩和」が進んだ。

 立憲民主党を中心とする「野党の構え」が構築されていく一方、国民民主党の方は個々の議員の路線の違いが表面化していく。その最たるものがことし7月の東京都知事選だった。立憲民主党が会派をともにする社民党に加え、会派が別の共産党ともまとまって新人の宇都宮健児氏を支援。保守系の野田佳彦前首相、岡田克也元副総理らも応援に駆けつけ「構えの広がり」を示した。

 一方、国民民主党は国会での野党共闘の構えから離れ、宇都宮氏を支援せず自主投票に。その結果、所属議員の応援は3陣営にまたがり「構えのなさ」を露呈してしまった。

 野党全体の力はまだ、安倍政権と対等に戦うにはすこぶる弱い。立憲民主党も国民民主党も、政党の支持率は伸び悩んでいる。しかし、野党内での主導権争いという点では、この時点で立憲民主党に軍配が上がった、と言ってよかった。

 合流協議はそういう状況の中で、水面下で始まった。そして、立憲有利の形勢が生じるにつれ、なぜか玉木氏の合流への思いはしぼんでいった。

 玉木氏は記者会見などで、協議事項にない消費税減税や憲法問題での一致の必要性を訴え、合流へのハードルをつり上げた。協議の途中経過は「玉木氏の要求に立憲民主党側が次々と譲歩する」かのごとく伝えられ、立憲側の地方議員やコアな支持者の間に強いフラストレーションも生んだ。

 しかし、立憲民主党側は実際、玉木氏の「ハードルつり上げ」をかなりの程度織り込んでいた。その上で「何としても合流を破談にさせない」という強い意識のもと、党のアイデンティティーを崩さない範囲で、玉木氏がつり上げるハードルを次々と受け入れ、そのことで玉木氏を「逃げられない状況」に追い込んでいった。

 最後に玉木氏の「党名を民主的な方法で選ぶ」という提案を受け入れた時、立憲幹部の1人は「枝野、福山(哲郎幹事長)の2人が『立憲民主党』で戦うと腹をくくっていれば、恐れるものはない」と語った。いつしかメディアの報道も「煮え切らない玉木氏」など、玉木氏に決断を迫る方向に傾いていった。

 玉木氏は枝野氏との党首会談に持ち込んだ上で、高いハードルを吹っかけて拒絶させ、破談にさせる狙いがあったとみられる。党内の合流賛成派と反対派の溝が埋まらない状況で、無理に合流すれば党が分裂しかねない。破談になれば、仮に立憲に移るため離党する議員が多少出たとしても、党の存続は可能との見方もあったのだろう。

 しかし、時はすでに遅かった。党首会談が実現しない中で、幹事長・政調会長による合流に向けた実務者の協議が整い、玉木氏は孤立した。

 玉木氏の一連の言動は、合流に向けて実務的な協議に臨んでいた平野博文幹事長らの努力に、党首自ら水を差すことを意味した。それは結果的に、党内の合流賛成派の離反を招いた。玉木氏は自らの行動によって、かえって党を分裂の方向に向かわせてしまったのだ。

 「分党」が臨時執行役員会で決定されたのかどうかは判然としないが、同党から多くの議員が立憲民主党に加わる流れは、もはや変わらないとみて良さそうだ。おそらく参院を中心に10人程度は合流には加わらないとみられるが、それは協議の前から両党とも想定していただろう。

 立憲民主党が11日に公表した綱領案を見る限り、両党間で最も政策の隔たりが大きいとみられている「原発ゼロ社会の1日も早い実現」などが盛り込まれており、結党時の綱領が大きく損なわれたとは考えにくい。今後、この綱領のもとに合流が実現するのなら、規模はともかく、それは事実上「拡大版立憲民主党の誕生」といっても過言ではないと、筆者は考える。

 合流しなかった議員が新党を作ると仮定して、その党が、ここまで立憲民主党を中心に築いてきた野党共闘の枠組みに加わるかどうかは見通せない。場合によっては、共闘野党に属する議員は、数の上では減ってしまうかもしれない。それでも、国会や選挙における野党全体の戦闘力を増すという意味では、野党第1党という「核」が拡大することの方が、効果は大きいのだろう。

 結局、野党の構えは、昨夏の参院選後から想定された「収まるべき形」に収まったのだと思う。ただそれにしても、ずいぶんと長い時間と労力を要したものだ。