新型コロナウイルスの感染拡大は世界中の音楽シーンに深刻な影響を与えている。クラシック音楽の本場であるヨーロッパでも3月以降、オーケストラやオペラの上演が休止に追い込まれた。

 感染拡大が落ち着いたことを受けて、活動を再開し始めるなど明るい兆しはある。それでも、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を保つためにコンサートなどの収容人数は制限されており、収入面では依然として先の見えない状態が続いている。(チューリヒ在住ジャーナリスト、共同通信特約=中東生)

 ▽感染で中止になった公演も

 ヨーロッパのクラシック音楽シーズンは毎年9月に開幕する。ドイツのバイエルン国立歌劇場は9月1日に新作オペラ「マリア・カラスの七つの死」を初演した。

 この新作オペラは、来年任期を迎える同歌劇場のニコラウス・バッハラー総裁による「遺産」として制作された。13年という長きにわたってトップに居続けたバッハラー総裁にとってこの作品への思い入れは人一倍強かったようだ。

 あくまでもうわさだが、ロックダウン(都市封鎖)中に作品を上演しようと模索したほか、稽古を行ったことでバイエルン州から厳重注意を受けたとされている。

 バッハラー総裁の思いが通じたのだろう。初演は無事に終わり、その後の公演も順調に開催されている。とはいえ、現在受け入れ可能な観客数は500人。同歌劇場の客席数はおよそ2100なので盛り上がりに欠けるのは否めない。それでも、今は受け入れなければならないのだろう。

 コンサートはいわゆる「密」になりがちだ。それゆえ、集団感染が起きやすい。感染者を出してしまうと、演目を中止に追い込まれかねない。そうなると、収入減を招いてしまう。クラスター(感染者集団)が起きないよう、音楽関係者が神経質になるのは自然なことだ。

 実際にロシアのボリショイ劇場では出演者が新型コロナウイルスに感染したことが9月7日に判明している。「ドン・カルロ」に出演していた、ともに現代オペラを代表する歌手であるアンナ・ネトレプコとイルダール・アブドラザコフが感染したのだ。このため、演目そのものが中止されてしまった。

 また、オーストリアでも公演中にクラスターが発生した。影響で別の演目を含め、感染者や濃厚接触者などを除いたキャスト変更などの対応に追われた。

 ▽「別空間」で共演

 オーストリアと国境を接するスイスのチューリヒ歌劇場は、9月20日にムソルグスキー作曲のオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を上演して今シーズンを開幕した。

 この演目でチューリヒ歌劇場は新たな感染防止策を取り入れた。

 オーケストラと合唱団とは歌劇場とは別の場所で演奏する。そこで奏でられた音は同歌劇場に届けられ、舞台上の歌手はモニターに映し出されている指揮者の指揮に合わせて歌う。筆者はこれを「別空間同時共演」と呼んでいる。

 最大の目的は、出演者のソーシャルディスタンスを保つことにある。同時に、収入増も期待できる。オーケストラなどが劇場内にいなければ、その人数分の観客を受け入れることができるのだ。

 この「別空間同時共演」は、湖上のステージで有名なオーストリアの「ブレーゲンツ音楽祭」などでも採用されていた。だが、歌劇場などで恒常的に使われるのは初めてではないだろうか。

 もちろん、音質の面では不満もあった。60本ものマイクで音を拾った結果、普段の劇場で聞く音とはバランスが大きく異なってしまったのだ。それでも、演者に大きな拍手を送り続けた観客からは無事に上演してくれたことに対する感謝の念が伝わってきた。

 ▽米国の状況

 ヨーロッパと同様、クラシック音楽が盛んな米国はどうなっているのだろう。

 一言で言えば、経営状態はかなり緊迫している。エンターテインメントに対する国の援助がヨーロッパ各国より少ないからだ。

 メトロポリタン歌劇場は4月に団員や従業員を一時解雇した。その後、来年の9月まで閉鎖し続けることになった。他のオペラハウスも同様に厳しい状態に置かれている。

 打開策の一つとして、米国内に本拠を置くオペラ・カンパニーなど9団体が共同制作したオペラをインターネット上で上演することになった。題材はデカメロン。イタリアの文豪ボッカチオが14世紀に大流行したペストを題材に書いた物語を現代の新型コロナウイルスになぞらえた。クラシック音楽の配信プラットホーム「アイダージョ」で10月9日から毎週1話を配信。全4エピソードで完結させる。

 このアイダージョはコロナ禍で注目を浴びるようになった配信プラットホームで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やチューリヒ・トーンハレ管弦楽団などといった有名オーケストラと契約している。ロックダウン中はこれら団体の演奏会を無料配信するなどして知名度を上げた。

 アイダージョは以前から自分の芸術を発表する機会の得られない若手音楽家のサポートを模索して来た。新型コロナウイルスのまん延でさらに困窮している彼らを支えていきたいという。

 ▽音楽は死なない。でも…

 フリーのアーティストに対する収入補償制度が整備されている国もある。そんな国であっても、実績の少ない若手が対象となるのはかなり難しいという。若手の中には将来への展望が絶たれただけでなく、聴衆の前に立てないことでうつ状態に悩むようになった音楽家が少なくないとされる。

 業界団体などがサポートプロジェクトを実施している。そんな中、スイスが誇る「ルツェルン音楽祭」はユニークな支援策を導入した。

 「第九」として知られるベートーベンの交響曲第9番の中にある「歓喜の歌」を歌唱したり演奏したりする映像をプロアマ問わず募集したのだ。すると、374本の映像が寄せられた。この中にはオペラ歌手のチェチーリア・バルトリやバイオリニストのパトリシア・コパチンスカヤを始めとする人気音楽家によるパフォーマンスもあった。

 映像を集めて、どうして音楽家を支援できるのか? 仕組みは次の通り。映像中で奏でられた「音符」の数に応じて募金が集まる仕組みになっているのだ。今回の取り組みでは、合計27万5616スイス・フラン(3130万円)にもなった。

 国によっては入国する人に対し2週間の自主隔離を課すところがある。それを逆手にとって活動を行う音楽家もいる。代表例は、香港小交響曲楽団と共演するために訪れた香港で自主隔離することになったドイツ人ピアニストのアレクサンダー・クリッヒェルだ。

 9月10日からの2週間、ホテルで自主隔離していたクリッヒェルは毎日「隔離日記」と称した生演奏をYouTube上で届け続けたのだ。腕にはブルートゥースで所在地が特定できるブレスレットを付けられるなど完全軟禁状態だが、それでも待ってくれている中国の聴衆の前で弾くことを選んだ。ちなみにクリッヒェルは5月に来日予定だったが、来年に延期された。

 音楽家たちの情熱が続く限り、音楽は死なないだろう。でも、彼らも人間だ。コロナ禍が今後も続けば、生きるために音楽家であることを辞めざるを得ない人も出てくるだろう。

 クラシック音楽だけでなく全ての音楽には人間の心を落ち着かせ、安定させてくれる力がある。素晴らしい力を持っている芸術家たちを守るために、世界の政治家たちに強くお願いしたいことがある。

 「音楽を殺すな」だ。