漁民救命の八丈島に感謝の碑を 明治の遭難で和歌山の子孫ら

漁民救命の八丈島に感謝の碑を 明治の遭難で和歌山の子孫ら

 明治25(1892)年12月に和歌山県那智勝浦町沖でサンマ漁船六十数隻が遭難し、乗っていた漁師のうち210人が東京の八丈島に流れ着き、島民に命を救われたことに感謝を表そうと、遭難者の子孫ら県民有志が、島に碑の建立を計画し、支援を募っている。

 田辺市文化財審議会審議委員で、遭難事故を冊子にまとめた吹揚克之さん(76)=田辺市あけぼの=によると、由良町から新宮市までの16の漁村から漁師計749人が六十数隻に乗り込んで出漁したが、暴風雨や高波で遭難し、229人が死亡したり行方不明になったりした。助かったのは520人で、そのうち210人が黒潮に乗って八丈島に流れ着いた。島では島民に救われ、軍艦がやって来るまでの三十数日間にわたって献身的に治療を受けたり、衣食住を提供されたりして、生き延びることができたという。

 今年2月、慰霊碑が立つ田辺市古尾の龍泉寺で遭難125回忌法要が営まれた際、参列者から「感謝の碑」を建立しようという声が上がった。9月、遭難者の子孫である恵中美蔵さん(67)=田辺市江川=や先祖が漁業に携わっていた冨田健治さん(73)=同市目良=のほか、紀南地方の各漁協関係者らで「八丈島に『感謝の碑』を建てる会」を発足した。

 「感謝の碑」には遭難事故の説明とともに、「紀州船」の歌詞も刻字したいという。建立する場所は、八丈島北西にある漁師が流れ着いた大賀郷の海岸を予定している。景勝地で観光客が多いという。

 碑の建設費は約300万円を予定。海難者の供養や豊漁祈願をする盆行事「紀州田辺の柱松」の残金約30万円を充てるが、残りは寄付を募りたいという。

 問い合わせは同会事務局の宮田政敏さん(090・4906・7838)へ。

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