郷土の偉人から多くを学ぼうという学習会が26日、和歌山県串本町西向小学校であった。「『陸奥宗光外務大臣』の功績を教育に活かす実行委員会」が、天然痘ワクチンを開発した小山肆成と外交で活躍した陸奥宗光の業績を紹介。新型コロナウイルス感染症が広がる中、児童らは肆成らの取り組みに興味津々だった。
 「『生きる』―偉人に学び、生命(こころ)を強くする」と題して和歌山市や紀南各地で開いている。紀州宗光龍馬会共催。
 西向小では、実行委の立谷誠一会長(71)が小山肆成、臼井康浩事務局長(55)が陸奥宗光について語り5、6年生18人が耳を傾けた。
 小山肆成は江戸後期の医師。1807年、当時の紀伊国牟婁郡久木村(現白浜町久木)で生まれた。儒医だった兄を頼って22年に京都に移住。医学者の高階枳園らに師事して医師の道を歩んだ。
 当時、天然痘は治療が難しい病気とされ、熊野地方でも猛威を振るった。治療方法が分からず、当時は鎖国中だったので海外から情報を得ることも容易ではなかった。
 肆成はある時、牛の乳を搾っている人は天然痘にかからないと聞き、それを契機に研究に没頭。苦労の末、強い免疫性を持つ牛痘苗を作り天然痘の予防に力を尽くした。
 立谷さんは肆成の活動を描いた紙芝居をスライドにし、絵を交えて分かりやすく説明。貧しい人からお金を取らなかったため、研究費に困って家宝の刀も売ったとも話し、児童に「こんなに素晴らしい人物がいたことを誇りにし、大人になっても思い返してほしい」と呼び掛けた。
 陸奥宗光は1844年に和歌山市で生まれた。青年時代は神戸海軍操練所で勝海舟の影響を受けた。坂本龍馬とともに活動し、海援隊副隊長として龍馬を支えた。龍馬亡き後は明治政府に入り、外務大臣になった時、江戸幕府が西欧列強と交わした不平等条約を改正。列強による植民地政策から日本を救った。
 臼井さんは、宗光は教養や訓練を通して自身の技能を高めたとし「皆さんもそのような人になって」と話した。
 6年生の児童は「天然痘で3人に1人が亡くなったと聞きびっくりした」「ワクチンができてよかった」などと口々に感想を話していた。
 この日は、串本町へのロケット発射場誘致に尽力した和歌山市出身の故上野精一氏の妻、敦子さんの話も聞く予定だったが、都合で欠席となった。