いよいよ今週の木曜日から、福岡県のザ・クラシックゴルフ倶楽部で国内公式戦「日本女子オープン」が行われる。今回で53度目を迎える女子ゴルファー日本一決定戦は、数々のドラマや名場面を生み出してきた。そんな大会の“これまで”を、さまざまな角度から振り返る。今回は『日本女子オープン黎明期』のお話。


日本女子オープンが初めて開かれたのは1968(昭和43)年のことで、「TBS女子オープン」という大会名で行われた。12月11、12日の2日間開催。「秋雨そぼ降る河川敷コース」と、現在大会を主催する日本ゴルフ協会(JGA)のホームページに記載されているTBS越谷ゴルフクラブ(埼玉県) がその舞台となった。

大会創設に尽力したのは、東京放送(TBS)元社長の今道潤三氏(故人)。当時はまだ女子ゴルフ自体が創世記ともいえる時代で、日本女子プロゴルフ協会が設立され、初のプロテストが開かれたのがその前年のことだった。競技としてまだまだ一般に認知されていないこともあり、実施に向けて反対の声が多かったという。しかし今道氏はそれを押し切り、JGAの後援を取り付け開催に至った。

その第1回大会にはプロアマ合わせて42人が参加。2日間合計イーブンパーで回った樋口久子が初代女王の座についた。2位には4オーバーの佐々木マサ子、3位は10オーバーの二瓶綾子。ちなみに最下位の選手は39オーバーという成績だった。

さらに第2回大会は唯一のアンダーパー(6アンダー)をマークした樋口が、2位に8打差をつけて連覇を達成。最終的に第1回大会から4連覇を達成したことなどを見ても、まだまだ選手間のレベルの差が激しかったことが伝わってくる。

ここから大会は少しずつ規模を拡大。主催がTBSからJGAに変わり、正式に「日本女子オープン」として開催されるようになった第4回大会(1971年)には131人が出場し、予選カットも行われるようになった。ちなみに今年は120人の参加が予定されている。

今年は新型コロナウイルスの影響で賞金総額が25%減額となったが、現在は総額1億5000万円(優勝3000万円)を誇る。しかし第1回大会の優勝賞金はわずか20万円。もちろん貨幣価値は当時と異なるが、それでもスタートは現在の150分の1という額だった。さらにこの大会で賞金を獲得できたのは10位タイまでの選手のみで、その順位で手にできたのは1万円だったという部分に時代を感じる。もちろん、これ以下の選手は1円も稼ぐことができなかった。

初めて優勝賞金が1000万円を超えたのは1992年大会(1080万円)。ここからは女子ゴルフ人気の波にも乗ってグングンと上がり、昨年大会から3000万円となった。

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