史上最高の試合、箕島―星稜 奇跡の裏に粘りの投球

史上最高の試合、箕島―星稜 奇跡の裏に粘りの投球

 (1979年3回戦 箕島4―3星稜)

 延長に入って、2死から2度も飛び出した同点本塁打。延長十八回の熱闘となった第61回全国高校野球選手権大会(1979年)の3回戦、箕島―星稜(石川)は、野手の転倒というドラマもあって、「高校野球史上最高の試合」と言われる。

 九回裏の攻撃中に時刻は午後6時となり、延長に入ると同時に、6基の照明灯がともった。この名勝負はカクテルライトの色とともに記憶される。

 NHKテレビの中継は総合テレビから教育テレビ(現Eテレ)に移り、さらに2時間続いた中継の視聴率は30・6%(関東地区=ビデオリサーチ調べ)。今も同チャンネルの歴代1位という記録だ。

 1―1で延長へ。まず試合が動いたのは十二回表だ。箕島の主将、上野山善久が二塁ゴロを後逸。タイムリーエラーとなった。おたふく風邪が完治していない状態でプレーしていた。

 星稜が1点を勝ち越し、選抜大会優勝校の箕島は追い込まれた。その裏の攻撃も簡単に2死。9番を打つエースの石井毅はベンチに戻って、水を飲んでいた。入れ違いに右打席へ向かうはずの1番の嶋田宗彦はベンチに引き返してきて、尾藤公(ただし)監督に言った。

 「監督、ホームランを打ってきます!」

 さすがの尾藤監督も面食らった。「よっしゃ、狙え!」。宣言通り、嶋田が堅田外司昭のカーブを左翼ラッキーゾーンへ打ち込む。

 エラーした主将を、バッテリーを組む石井を、そしてチームを救う起死回生の同点本塁打となった。

 2度目は十六回。星稜が主将の山下靖の適時打で三たび1点をリードした。その裏、王者は頼みの4、5番が打ち取られて2死。森川康弘が右打席へ入った。

 ベンチ横の内野席には尾藤監督の長男で、現在は箕島の監督を務める尾藤強(つよし)がいた。当時は小学4年生。「負けるわけない」と信じつつも「宗彦さん(嶋田)は打つやろうけど、康弘さん(森川)ではなあ」と弱気になりかけていた。

 実際、森川は初球を打ち損じる。力ないフライが一塁ファウルゾーンに上がった。万事休すと思われた瞬間、星稜の一塁手・加藤直樹が転倒する。フェンス際に敷かれた人工芝の切れ目に引っかかったのだ。

 ストライク、ボール、ファウルの後の5球目。森川が直球を捉えた。左中間への同点本塁打。

 「なんて、すごい選手たちなんや。星稜の選手もすごいが、箕島の選手はホンマにすごい」

 尾藤監督は震えた。

 「甲子園球場に奇跡は生きています」。朝日放送の植草貞夫アナウンサーは叫んだ。テレビ中継は午後6時で終了したが、ダイジェスト番組用に実況を続けていた。

 そして十八回裏、箕島は5番上野敬三のサヨナラ安打で3時間50分の熱闘に決着をつけた。箕島は12安打に抑えられたが、効果的な本塁打が2本飛び出した。

 一方、星稜は19安打を放ったが、すべてシングルヒットだった。箕島の右横手投げのエース石井が球を低めに集め、粘り強く投げ続けた証しだ。

 「あれだけ打たれながらも257球を投げ抜けたことには満足している」と石井は振り返る。「2年夏に負けて、自分で工夫して地道な練習を続けた。人と違うことをすることで自信がつく。箕島の選手はみんなそうやったし、星稜も同じやったから、あの試合が生まれたんやと思う」

 箕島はこの夏、さらに3勝し、公立校で唯一の春夏連覇を達成。伝説の試合の価値を高めた。(編集委員・安藤嘉浩)

     ◇

 石井毅(いしい・たけし) 箕島高のエースとして1979年に甲子園で春夏連覇。住友金属を経てプロ野球西武入団。現在は故郷の和歌山県有田市を中心に野球普及活動に励む。現本名は木村竹志。

 尾藤強(びとう・つよし) 1969年、箕島町(現有田市)出身。父の尾藤公監督率いる箕島高のエースとなったが、甲子園出場はならなかった。2013年春に箕島高の監督就任。同年夏の甲子園に母校を導いた。


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