新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期になった東京パラリンピック。国際パラリンピック委員会特別親善大使を務める香取慎吾さんは、パラスポーツの普及に尽力してきた。待望の舞台が延期となり、先行きが見通せない中、どう向き合っていくのか。これまでの自身の歩みも重ねながら思いを語りました。

 2020年8月25日。本来であればこの日に開幕するはずだった東京パラリンピックの姿が、僕にはイメージできていました。

 ずっと待ち焦がれていたからです。多くのパラアスリートと出会い、大会へのそれぞれの決意に触れてきました。さらに18年平昌パラリンピック(韓国)を現地観戦。大会の盛り上がりや熱量を肌で感じることもできました。ここ数年は、「8・25」に向かって生きてきたといっても言い過ぎではありません。

 それがまさかの大会延期に。人の命に勝るものはないということは理解しています。一番苦しい立場の選手たちを差し置いて、こんなことを言うのは失礼かもしれないけど、思いが強かった分、ショックを感じていました。

 日本での自粛生活は徐々に緩和されてきましたが、海外ではまだまだ猛威を振るい続けています。お話をさせていただいた選手からは、練習環境が整わないだけでなく代表選考方法が難航し、目標や意識の持ちようの大変さをうかがいました。ステイホーム中は自分のことだけを思いながら過ごしてしまいがちだけど、体を満足に動かすことすらできなかった選手たちの大変さを思うと、ネガティブな気持ちは薄らいでいたように思います。

 コロナ禍でリモート対談した陸上の井谷俊介選手や水泳の成田真由美選手、車いすバスケ界のレジェンド、パトリック・アンダーソン選手(カナダ)は、先が見通せない中でも、決して悲観的ではありませんでした。きっとそれは、自分が決めた道を歩み続けているから。

 16年いっぱいでグループを解散した時、当時の僕の心のよりどころはまさにそれだった。何の保証もなく、その道に床があるのかさえ分からない状況でも、一歩を踏み出せたのは、自ら変化を望み、とにかく決断したこの道を進むんだ、とえたいの知れないパワーが生まれていたから。

 心の奥底にあった人を喜ばせたい、という思いに気づくことができたし、応援してくれる人が1人でもいるなら前を向いて、ともに進もうと勇気づけられた。コロナ禍は自分自身の存在を改めて見つめ直し、当時のそんな思いに触れるきっかけになりました。

 ウイルスに苦しむ人々がいる中、来夏の選手の活躍を口にするのは時期尚早かもしれません。ただ、パラアスリートは家族や理学療法士、義肢装具士ら、たくさんの人たちの支えで競技に取り組めています。選手の身近な人たちだけでなく、思いを寄せて、応援する人たちはたくさんいます。僕もその1人です。

 新聞やテレビでの活動を通じて、パラを知ってもらうひとを増やすことができれば、選手の力になるのでは、と信じています。

 先が見えない――。だからこそ、自分のやるべきこと、役割に徹するつもりです。(聞き手・榊原一生)

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 かとり・しんご 1977年1月生まれ、神奈川県出身。88年にSMAP結成。ドラマや映画、CMなど多数出演。2017年から「新しい地図」の活動をスタートし、パラスポーツの普及に尽力。国際パラリンピック委員会の特別親善大使。朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーター。