2001年までの世界GP(WGP/World Grand Prix)の略称で行われていたロードレース世界選手権。2002年から最高峰のバイクが4ストローク990ccとなり、シリーズの名称もMotoGPへと変更された。しかし、MotoGP初年度は2ストローク500ccマシンと4ストローク990ccマシンが混走する状況でのスタートとなった。2002年から2019年までのMotoGPの軌跡を連載形式で振り返っていく。

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 2005年もバレンティーノ・ロッシが連覇を果たした。ロッシはシーズン11勝を記録。転倒ノーポイントに終わった日本GPを除く全戦で表彰台を獲得した。この結果、ランキング2位のマルコ・メランドリとは147ポイントの大差が付くことになった。


 2003年、2004年と2年連続ランキング2位を獲得したセテ・ジベルノーは、この年ロッシに対抗できる有力候補と見られていたが、開幕戦のスペインGP決勝の最終コーナーでインをついたロッシに弾き飛ばされ、2位に終わってしまう。これ以降、ジベルノーはリズムを崩し、トップ争いから脱落。ロッシのプレッシャーに負けてしまうことになった。

 2005年は、メランドリに続いてニッキー・ヘイデンがランキング3位に躍進、ホンダのエースとして参戦したマックス・ビアッジはランキング5位に終わった。一方、ロッシのチームメイトとなったコーリン・エドワーズがランキング4位となり、ヤマハはMotoGPで初めてライダー、コンストラクター、チームの3冠を達成した。

 日本人ライダーでは玉田誠がこの年からコニカミノルタ・ホンダに移籍、タイトル争いに加わるためにロッシと同じミシュランタイヤを履く選択を行なう。ところが玉田は、ケガで序盤の3戦を欠場するなど苦戦。2005年シーズンはランキング11位に終わってしまった。カワサキ2年目の中野はこの年は6位がベストリザルト、ランキング10位を獲得する。

 ロッシがヤマハに加入して2年目となり、チームのマシン開発が進み、勢力図が変わり始めた。また、2007年からはマシンの排気量が800ccに変更されることも決まっており、これはあまりにもパワーのありすぎる990ccマシンの排気量をダウンし、パワーを落とすことで、安全性を確保するためのレギュレーション変更の動きでもあった。ライダーの世代交代の波も迫っている、2005年はそんなシーズンとなった。

■2006年シーズンは990ccMotoGP最後の年
 2006年は990ccMotoGP最後の年だった。この年からダニ・ペドロサ、ケーシー・ストーナーが250ccクラスからステップアップ。ストーナーが2戦目でポールポジションを獲得、ペドロサが4戦目でポール・トゥ・ウインを飾るなど、序盤から若手ライダーの勢いが感じられるシーズンとなった。

 開幕戦ではドゥカティのロリス・カピロッシが優勝、ロッシはシーズン前半に問題を抱え、出遅れてしまう。最終的にヘイデンとロッシによるタイトル争いとなるのだが、残り2戦となったポルトガルGPで、ペドロサがタイトルを争うチームメイトのヘイデンに突っ込み転倒させてしまう。

 これでロッシがポイントリーダーとなり、最終戦バレンシアGPでヘイデンも前でフィニッシュすればロッシのタイトルとなるはずだったが、スタートで出遅れたロッシがまさかの転倒。3位表彰台となったヘイデンが5ポイント差でMotoGP初タイトルを獲得した。ヘイデンはアメリカ人ライダーとして初のMotoGPクラスチャンピオンに輝き、990ccの最終年を締めくくった。また、ホンダのタイトル獲得は2003年以来となり、3冠を獲得した。なお、2006年のホンダは990cc最終年にタイトルを奪還するために、2種類のマシンを投入している。ヘイデンが駆ったのはニュージェネレーションと呼ばれる次世代に向けたRC211Vだった。

 ロッシはランキング2位に終わり、4ストロークMotoGPとなって初めてタイトルを失った。それでも年間勝利数は最多の5勝を記録した。2006年はチャンピオンのヘイデンが2勝、ランキング3位のカピロッシが3勝、メランドリは3勝するなど、勝ち星が複数のライダーに分散しており、混戦のシーズンだったと言えるだろう。


 ドゥカティにとっては、カピロッシのランキング3位はMotoGPベストランキングとなった。ドゥカティは前年からタイヤをブリヂストンにスイッチ、2年目を迎えてマシンとタイヤのマッチングが進んだことが躍進の理由だ。

 若手勢のペドロサは2勝を記録してランキング5位、ストーナーはランキング8位を獲得した。玉田誠はランキング12位、オランダGPでMotoGPクラスのベストとなる2位表彰台を果たした中野真矢はランキング14位を獲得した。