日本人初のメジャーリーガー誕生秘話。運命のひと言と、歴史を動かした”子ども心”

日本人初のメジャーリーガー誕生秘話。運命のひと言と、歴史を動かした”子ども心”

まさかのMLB昇格

1964年8月末、村上は“まさか”のMLB昇格を果たした。
 
 高校卒業後、南海ホークスに入団した村上は、プロ2年目でMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aフレズノに野球留学で派遣された。当初は3カ月だけの派遣予定だったが、そのシーズンの南海は絶好調で若い村上は必要とされなかった。
 
マイナーリーグで好投を続けた村上は、64年9月1日の対ニューヨーク・メッツ戦に日本人として初めてメジャー登板を果たし、同月29日には初勝利を挙げた。
 
 「私はメジャーに行くために(米国に)行ったわけじゃないのです。本当は修学旅行に行ったような感じだったのです」 と村上は振り返る。
 
 この言葉の裏側には、村上の人生を大きく変えたひと言があった。

プロ入りを決めた鶴岡監督のひと言

  山梨出身の村上は、反対する父を説得して野球の道を選び、神奈川・法政二高に進学した。「絶対にやり抜くんだ」という強い気持ちで厳しい練習を耐え抜いたが、3年生最後の夏の大会では慶応高に敗れ、甲子園出場とはならなかった。
 
 その後、当時の南海ホークス監督・鶴岡一人氏からプロ入りへの熱烈なラブコールが始まった。自宅を訪れ、「村上君、南海入れよ」と何度もアプローチを受けるも、村上は大学に進学する気満々で断り続けていた。
 
 しかし、鶴岡監督がある日の去り際に放ったひと言が村上の心を動かした。
 
 「もし、南海に入ったら、アメリカでやらせてやるよ」
 
 この言葉を聞いた瞬間、気持ちが変わってしまったという村上。高卒の月給が1万5000〜1万7000円だった当時、米国への旅費は30万円ほど。米国の西部劇などに魅せられていた少年の心を動かすには十分な一言だった。
 
 「飲まず食わずで1年半くらい働かないと行けるようなところではないから、行かせてくれるというその一言でコロッと気持ちが変わっちゃって、『入ります』ということで入ったのです」
 
 MLBでは日本人初勝利や日本人初安打など後世に永遠に語り継がれる記録を残した村上。日本人初のメジャーリーガーは、米国に憧れた“子ども心”から生まれたのだ。

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