◆ 悩んだ末の決断

 新型コロナウイルスの感染拡大で外出自粛は続く。自宅でテレビゲームをする小笠原慎之介は言った。


 「僕、抑えは田島さんですよ」


 ゲームでは、“チーム小笠原”を構成。抑えには田島慎二を使う。

 今季の抑え候補・岡田俊哉は、「タジさんに早くもどってきてもらいたいです。聞きたいことは山ほどあります」と技術アドバイスを求める。セットアッパーの又吉克樹も、「ずっと投げ続けて来た人。一緒にやりたいです」と離脱を悲しがった。


 4月中旬、田島は右肘の内側側副靱帯の再建手術(通称:トミー・ジョン手術)を受けた。悩んだ末に出した結論だった。


◆ 長らくブルペンを支えてきた右腕

 春季沖縄キャンプ中盤の練習試合で右肘の筋肉を痛めた。その時の診断は「右円回内筋損傷」。ノースロー期間を経ても復調せず、痛みも出てきた。

 キャンプ終了後、名古屋市内の病院などで、セカンドオピニオンを含めて入念に検査を受けた。そこで、右肘内側側副靱帯の損傷が根本の原因である可能性が指摘される。

 離脱の引き金となった2月のゲームも、傷ついた靱帯を筋力が補おうとした結果、筋線維が痛んだとみられる。ここで保存療法からの方針転換を決断。メスを入れる決意を固めた。


 チームは2013年から7年連続でBクラス。12球団で最もクライマックスシリーズから遠ざかっている。そんなチームを支えてきたのが田島だった。

 2012年のルーキーイヤーは56試合の登板で防御率1.15。2016年には日本記録となる開幕からの登板連続無失点試合、31試合をマーク。2度のオールスター出場も果たしている。


 抑えを任された2017年のセーブ数は日本人最多の「34」。両リーグでも、ソフトバンクのデニス・サファテ、阪神のラファエル・ドリスに次ぐ3番目の多さだった。2018年2月には侍ジャパンのメンバーにも選ばれている。

 しかし、勤続疲労は避けられない。2018年からは体調と向き合いながら、ベストなフォームを模索する日々が続いていた。


◆ “田島らしさ”あふれる中学時代の秘話

 田島の人柄を物語るエピソードがある。名古屋市出身、中学2年での出来事だ。

 カリキュラムのひとつに職場体験があった。生徒はコンビニや接骨院、レストランなど学校側が用意した店舗や施設にお世話になる。

 ただし、希望がかなうかは提出物の出来次第…。自らは提出物で却下された田島少年だったが、幼稚園での体験を希望する友人のために、教諭に「自分で探してきたらOKですか?受け入れ先を探すのも、職場体験の一環だと思います」とかみついた。

 それが、あまりにしつこい。その姿勢に、教諭から「いっぺん、やってみろ」の言葉を引き出した。

 自転車に乗って学区内外の幼稚園を駆けずり回り、ついに隣の区内で受け入れ先を見つけ出してみせた。意地になって何カ所もの幼稚園に当たるのは、教諭からすれば見上げた根性というほかない。


 プロ入り後、当時の教諭と再会。そこで、恩師から新事実を知らされている。

 下の学年は、自分たちで受け入れ先を見つけるように変えたことだった。田島のチャレンジが教諭の心を打ち、学校側にシステム変更を決めさせたのだった。

 負けん気は強い、かといって無鉄砲でもない。それが田島なのだ。


◆ 「治ったときの自分に期待」

 トミー・ジョン手術は、チーム内では吉見一起が、今年の2月にはDeNAの東克樹が受けている。

 米球界では一般的で、過去にダルビッシュ有(カブス)や大谷翔平(エンゼルス)も経験。順調なら復帰は1年後。リハビリは地道だが、復帰後に球速が上がる事例も少なくない。


 球界は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕日が不確定なまま。ただ、選手・球団を含めて球界は立ち止まるわけにはいかない。

 手術を決めた田島もそうだ。

 「治ったときの自分に期待しちゃう部分もあります」

 田島のコメントをメディアを通して知ったエース・大野雄大は、「タジ(田島)とはずっと一緒にやってきた。戻ってきてくれることを祈っています」と語る。


 名古屋市出身右腕の復活は、地域に根ざした球団運営の根幹を支える。チームメート、そして地域に復活マウンドを待つファンがいる。

 今はウイルスで球界は止まっている。でも、いつか動く。大歓声のマウンドは必ず待っている。


文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)