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『失投』
著者:ロバート・B・パーカー
訳者:菊池 光
発行:ハヤカワ・ミステリ文庫(740円+税)

◆ ハードボイルド小説の傑作

 ボストン・レッドソックスのエースにかけられた“八百長”疑惑。依頼を受けた私立探偵スペンサーは野球本を書く作家と称して潜入調査を始め、さまざまな困難にぶち当たりながらも、徐々に暗部に迫り、自分らしいやり方で真実を暴き出す。

 ラストに待ち受けるヒリつくような緊張感・・・。本場のメジャーリーグを舞台に、酒をこよなく愛し、饒舌で女好きの肉体派主人公が、不器用ながらも型破りの立ち回りを見せるハードボイルド小説の傑作だ。

 冒頭、スペンサーはフェンウェイ・パークの屋上スタンドに座って次のような想いにふけり、野球好き読者のハートを物語に引きずり込む。

「スタンドがグラウンドに近いし、フェンスは希望を抱かせる緑色、白のユニフォームの若者は本物の、正真正銘、天然の芝生の上でプレイしている。(中略)アストロドゥムの丸屋根はない。空調もない。長年あまり優勝もしていないがテキサス人もいない。人生は順応が大事だ。それに、ビールが美味い」。


◆ スペンサー・シリーズの魅力

 ボストンの街や球団スタッフを絡めたストーリーの巧みさは言うまでもないが、スペンサー・シリーズの魅力は、なんといっても主人公のキャラクターにこそある。

 本作においても、「私の依頼料は、通常、コーン・マフィン二つとコーヒー一杯だ。残りは仕事完了後に請求します」と軽口を叩き、「考えが決まらない時は何かを料理して食べろ」と、自ら“スペンサーの法則”を開陳している。そして「シャツを脱いでまたビールの缶を開けると、冷蔵庫の中を調べた。スペアリブ。そうだ。リクィッド・スモークをたっぷりかけてオヴンに入れた。弱火」と手際よく料理を始める。

 世界中の読者を虜にしている魅力の一つには、このスペンサー流の料理が挙げられる。彼はハードな仕事をこなし自宅に戻れば、キッチンに入って腕をふるう。「冷蔵庫のビールの後ろにホール・ホイートのパン半塊り、戸棚に口を開けてないピーナッツ・バターが一瓶あった。ピーナッツ・バター・サンドウィッチを二つ作って皿にのせ、ビールをもう一本空けると、窓際に坐ってサンドウィッチを食べ、ビールを飲んだ。まずい料理だ」と、いたって正直でもある。

 スペンサーは事件解明の中で直面する自分の弱さも隠すことなくさらけ出す。一事が万事、人間臭いのだ。それこそが本作、引いてはスペンサー・シリーズの最大の魅力だろう。作者は事件の謎解きの仕掛けに苦心するよりも、スペンサーを始め、登場人物の揺れ動く心の機微に焦点を当て、やがて人間の性(さが)を浮き彫りにするのだ。


◆ ミステリー好きの野球ファンならば…

 スペンサーの生みの親であるロバート・ブラウン・パーカーは1932年9月、アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、2010年1月にすでに他界(享年77)している。

 なお、スペンサー・シリーズは全39作品。『ゴッドウルフの行方』(1973年)を皮切りに、シリーズ最高傑作と言われる『約束の地』(1976年 エドガー賞長編賞)や、日本で多くの読者を獲得した『初秋』(1980年)など多作だが、数ある作品の中でいったい何から読み始めるべきか、ミステリーファン、とりわけスペンサーマニアの中では常に議論の分かれるところだ。

 しかし、もちろん野球好きならば、迷うことなくデビュー戦は、この『失投』がうってつけだろう。