◆ 今年はヤクルト・小川が達成

 プロ野球も9月戦線に入り、シーズンの折り返し地点を過ぎた。今季もここまで様々な偉業が成し遂げられたが、8月のトピックのひとつがヤクルト・小川泰弘のノーヒットノーランだろう。

 8月15日に行われたDeNA戦、9回を投げて135球の熱投。四球は3つ与えたものの、10個の三振を奪ってのノーヒットノーラン。プロ野球史上82人目、通算93度目という快挙だった。


 その後、中7日で先発した23日の阪神戦では、初回・先頭打者の近本光司に内野安打を許し、いきなり連続無安打がストップ。初回に失点を喫するものの、それでも終わってみれば7回を投げて5安打、2失点の勝利投手に。

 以降も勝ち運は継続しており、ノーヒットノーランの8月15日から4戦4勝。苦しむ投手陣の中ですでに8勝(2敗)をマークしている。


 小川の場合は好調が持続できているが、過去を振り返ってみると意外な経過を辿った選手も…?実は面白いエピソードも少なくない。

 というわけで、今回はノーヒットノーランや完全試合を達成した投手の“次の試合”に注目。球史に名を刻んだ選手たちがハマった落とし穴、珍事件をピックアップした。


◆ 「完全試合」の次の試合に“珍記録”

 まずは、完全試合を達成した次戦で毎回被安打という両極端な結果になった投手から。東映時代の高橋善正だ。


 1971年8月21日の西鉄戦。史上12人目の完全試合を達成した高橋は、同26日の南海戦に中4日で先発した。

 しかし、1回二死から門田博光に中前安打を許し、早くも記録がストップ。2回にもジョーンズの中越えソロで失点すると、3回にも2安打、4回には野村克也の通算4000塁打(史上2人目)となる右翼線安打を献上してしまう。

 5〜7回にも1安打ずつ許しながら、何とか2−1とリードを守っていたが、8回に門田に逆転3ランを浴び、ついに逆転を許してしまう。

 結局、9回を一人で投げ抜くも、毎回の被安打13で4失点。高橋自身も「もうあかんと思って、あきらめていた」と負けを覚悟したが、9回裏にまさかの大どんでん返しが待っていた。


 先頭の大杉勝男が左前安打で出塁すると、クリスチャンと中原勝利の連続二塁打であっという間に同点。

 さらに犠打エラーと四球で二死満塁とすると、白仁天が佐藤道郎の初球を左翼席に叩き込み、サヨナラ満塁弾という派手な幕切れで8−4の大逆転勝ちを収めたのだ。


 この結果、高橋は「完全試合の次戦で毎回被安打完投勝利」という世紀の珍記録を達成。

 「(パーフェクトの次はKOという)ジンクスを意識していなかったと言ったら嘘になるけど、立ち上がりから球が走らず、3回あたりから、“毎回安打を打たれるんじゃないか”という変な予感が先に立っちゃって」と、予感的中にもかかわらず、思いがけず転がり込んできた白星に苦笑いだった。


◆ 広島のエース・佐々岡真司の“悪夢の1球”

 2試合連続ノーヒットノーランが途切れた直後、“悪夢の1球”に泣いたのが、現役時代の広島・佐々岡真司監督だ。


 1999年5月8日の中日戦でノーヒットノーランを達成した佐々岡は、次の登板試合・同15日のヤクルト戦も、初回に真中満を一ゴロ、土橋勝征を遊ゴロ、古田敦也を三振と3者凡退に打ち取り、好調な滑り出し。2回もペタジーニを遊飛、スミスを三ゴロ、高橋智を二飛の3者凡退と、連続無安打記録を継続した。


 ところが、2−0で迎えた3回、先頭打者・岩村明憲に中前安打を許し、記録が途切れた直後、次打者・宮本慎也への2球目が頭部を直撃。試合開始からたった25球で危険球退場という悪夢に襲われた。

 「(シュートが)すっぽ抜けてしまった。頭に当たったのは事実。チームに申し訳ない。宮本君にも申し訳ない」と平謝りの佐々岡だったが、記録がフイになった直後の心の隙から生まれたようなアクシデント。

 ノーヒットノーランを達成すると、“運の消費量”に伴うリバウンドも、それなりに大きいのかもしれない。


◆ プロ初先発・初登板でノーノー!

 近藤真一(中日)といえば、高卒1年目の1987年8月9日にプロ初先発・初登板の巨人戦でいきなりノーヒットノーランを達成した快事を覚えているファンも多いだろう。

 その近藤は同17日の広島戦も7回途中まで2失点の好投で2勝目を挙げると、同23日の阪神戦でも、あわやノーヒットノーランの快投を演じている。


 4回まで阪神打線をパーフェクトに抑えた近藤は、2−0の5回に掛布雅之に四球を許したあと、岡田彰布に中前安打を浴び、2度目の快挙ならず…。

 しかし、それに動じることなく、真弓明信を三振、平田勝男を遊ゴロ併殺に打ち取り、終わってみれば三塁を踏ませず、1安打完封勝ち。唯一許した岡田の安打も「詰まった(打ち取った)当たり」と言ってのけた。


 さらに、9月1日の巨人戦でも、近藤は3回二死まで無安打。デビュー戦から通算して巨人打線を11回2/3まで無安打に抑えたが、その直後、投手の桑田真澄に初安打となる先制ソロを浴びてからリズムを崩し、連勝も「3」で止まっている。


◆ 2試合連続の“ノーノー”を狙ったヤクルト・ブロス

 近藤と同様、ノーヒットノーランから2試合後の登板で、惜しくも2度目の快挙を逃したのが、ヤクルト時代のブロスだ。


 1995年9月9日の巨人戦でノーヒットノーランを達成したブロスは、同19日の広島戦でも9回途中までゼロ封。さらに絶好調は続く。同24日の中日戦も5回二死まで無安打に抑え、再度の快挙が期待されたが、直後、思わぬ不運が待ち受けていた。

 次打者・前原博之は右翼ポール際への飛球。一番近くで見ていたライト・稲葉篤紀も「完全なファウル」と証言したが、友寄正人一塁塁審は手をグルグル回して「ホームラン」をコールした。

 これには野村克也監督もベンチを飛び出し、激しく抗議したが、判定は変わらず。

 だが、ブロスは「ファウルだと思っていたけど、一度下された判定だからね」と気を取り直し、なおも中日打線を無安打に抑える。

 そして、8回二死から立浪和義に中前安打を許したものの、8回を2安打1失点に抑え、13勝目を挙げた。

 「誤審がなければ…」はたらればの話としても、運と不運は常に背中合わせなのである。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)