◆ パで注目の「先輩・後輩対決」

 10月も折り返しを過ぎ、異例のシーズンも残すところわずか。各個人によるタイトルレースの行方にも注目が集まる季節になってきた。


 パ・リーグのバットマンレースで目立っているのが、「大阪桐蔭の先輩・後輩対決」。日本ハムの中田翔と、楽天の浅村栄斗の2人が、本塁打・打点の2部門で激しく火花を散らしている。

 10月19日を終え、本塁打部門では浅村が31本でトップ。中田はそれを追いかける28本。一方、打点部門では中田が99点でトップに立っており、浅村がそれを97点で追いかけるという格好だ。


◆ メジャーでも達成されていない“サイクルホームラン”

 パ・リーグの本塁打と打点の2部門は、中田が長らく首位を快走していたものの、浅村が9月に入って大爆発。ともにリーグトップの月間10本塁打・21打点(トップタイ)という大暴れで、逃げる先輩を一気につかまえた。

 なかでも圧巻だったのが、9月22日に行われたロッテ戦。4回に放った25号ソロを皮切りに、5回には26号の2ラン、8回には27号の3ランと1試合3本塁打をマーク。球団通算1000勝に華を添えている。

 この日の浅村は7回一死満塁の場面でもライトフェンスを直撃する適時打を放っており、この日は4打数4安打で7打点という大活躍。

 言うことなし…としたいところだが、もしこの適時打の打球がフェンスを越えていたら…?プロ野球史上初となる、1試合に異なる4種類の本塁打、言うなれば“サイクル本塁打”が達成されていた。


 実はこの“サイクル本塁打”、長い歴史を誇るメジャーリーグでも未だに達成されていない。

 マイナーリーグでは、1998年の7月27日にアーカンソー・トラベラーズ(2A)のタイロン・ホーンが達成したという記録が残っている。サンアントニオ・ミッションズ戦で初回に2ラン、2回に満塁、5回にソロ、6回に3ランという驚異的な活躍を見せたが、そんな選手でもメジャーに昇格することはできなかったという。


 そもそも、1試合4本塁打を記録すること自体至難の業。NPBでは岩本義行、王貞治、トニー・ソレイタ、ナイジェル・ウィルソン、古田敦也の5名しか達成者がいない。

 それに加えて、ソロ・2ラン・3ラン・満塁の4通りをきちんと打ち分けなければならないのだから、よほどの強運の持ち主でもない限り、実現できないだろう。


◆ ダブルヘッダーで達成した事例なら!

 とはいえ、「1日で達成」という条件なら、過去に1例だけある。ヤクルトのジョン・スコットが、1979年5月27日の阪神戦・ダブルヘッダーで、2試合にまたがって達成したものだ。


 第1試合、1回に先制2ランを放ったスコットは、4−4の9回二死満塁で、江本孟紀から左越えにグランドスラムを記録。5回の2点タイムリーと合わせて一人で8打点を挙げた。

 そして、第2試合でもスコットの打棒は爆発する。8回に同点ソロを放ったあと、デーブ・ヒルトンのタイムリーで5−4と勝ち越し、直後の9回に二死一・二塁のチャンス。ここで安仁屋宗八が投じた内角への絶好球を見逃さず、左越えに高い弧を描くダメ押し3ラン。この瞬間、2試合がかりながら、前人未到の“1日でサイクル本塁打”の快挙が達成された。


 だが、試合後、報道陣にもみくちゃにされたスコットは不思議そうな顔をした。

 「みんなで勝ち取ったゲーム。なぜ僕だけインタビューを受けるのか?」

 パワーだけではなく、俊足に堅守も兼ね備えていた頼れる助っ人は、同年28本塁打を記録したが、翌年、プレー中に左膝を痛めたのが響き、日本で長く活躍できなかったのが惜しまれる。


◆ 大洋のレオン・リーも“目前”まで迫る

 サイクル本塁打にリーチをかけながら達成できなかったのが、大洋時代のレオン・リーだ。

 1985年8月10日の広島戦。1回に先制の右越え満塁弾を放ったレオンは、3回にも中越え2ラン、5回には右越え3ランを放ち、サイクル達成まで残すはソロのみとなったが、残念ながら4・5打席目で実現できずに終わった。


 それでも、1試合10打点はセ・リーグ新記録。また、初回の満塁弾がレオンにとって日本での通算200号となり、兄のレロン・リー(ロッテ)とお揃いでの“兄弟200発”も達成。これも史上初の快挙であった。

 本人も「25歳で日本に来て以来、何か記録を残したかったが、今日それができたんだ」と大喜び。このうえサイクル本塁打まで望むのは、欲張り過ぎだったのか。


◆ 中日・ゴメスが記録に迫るが…

 それから14年後、今度は中日のレオ・ゴメスがリーチをかけた。

 1999年4月18日の巨人戦。開幕から12試合ノーアーチだったゴメスは、2回に左越えに先制1号ソロを放つと、3回にも2号3ランと乗りに乗った。

 だが、5−0とリードしたその裏、二死満塁で清原和博の三ゴロをトンネルし、2失点。リズムを崩した先発・鶴田泰は直後、2本のタイムリーを浴び、5−6と逆転されてしまう。


 「鶴田に悪いことをした」と自責の念に駆られたゴメスは5回無死二塁、「本当に、本当に打ちたかった」と一発を狙い、岡田展和から左越えに3打席連続となる逆転2ランを放つ。

 7回にもあわや4打席連続弾という大きな中飛のあと、8回には二死満塁で5打席目が回ってきた。ここで一発出れば満塁弾となり、サイクル達成だったが、力んで空振り三振。

 達成目前までいっても、なかなかままならないのが、記録の難しさでもある。


◆ 門田博光は“お膳立て”を狙った

 あともう一人走者が出れば、サイクル達成のチャンスだったのが、南海時代の山本和範だ。

 1985年5月23日の近鉄戦。2回に先制2ランを放った山本は、2−2の5回に右越えに勝ち越しの満塁弾。6回にも右越えソロを放ち、あと3ランが出ればサイクルだった。


 そして、8回一死一塁の場面。打席には4番の門田博光。山本の自伝「マイストーリー・マイウェイ べった野球人生」(デコイブックス)によれば、打席に入る前、門田はネクストサークルの山本に耳打ちしたという。

 「お前に回したる。オレが出たら3ランを打て。プロ野球史上初のサイクルホームランや。お膳立てするから絶対に打て!」


 常日頃から「ホームランの打ち損ないがヒット」と公言する門田が、苦労人の後輩の努力に報いようと、一発を棄てて、ヒット狙いに切り替えてくれたのだ。

 だが、結果は遊ゴロ。右足太もも痛から復帰間もない門田は、痛みを押して懸命に一塁に走ったが、残念ながら併殺に終わり、山本に5打席目は回ってこなかった。


 額に脂汗を滲ませながら「悪かったな」と頭を下げる門田に、山本は「門田さん、無理せんとってください」と繰り返しながら、目頭を熱くしたという。

 “幻のサイクル本塁打”をめぐる、心温まるエピソードである。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)