昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

松園オーナー、中日の対応を愚痴る



表紙は巨人・堀内恒夫


 今回は『1970年4月13日号』。定価は80円。

 3月24日、甲府で巨人─近鉄のオープン戦が開催。近鉄の新人・太田幸司が5回から登板。ONにはヒットを打たれ、2失点ながらバックの援護で勝利投手になった。
 甲府といえば、この日も登板した堀内恒夫の地元。巨人ファンも多い地域だが、太田への歓声はすさまじく、さすがのONも脇役のよう。長嶋茂雄は、
「しようがないよ。時の流れというかね。でも俺だって入団当時は太田ぐらいの人気はあったと思うけどな。な、そうだろ?」
 と話していた。
 この日の球場への一番乗りは午前2時から並んでいたという、女子中学生グループ。試合終了後、近鉄の選手バスは小、中、高校生の女学生が囲み、バスに乗っていた太田と「目が合った」と、その場にうずくまり、大声で泣きだす女子中学生もいた。
 当時、太田の悪い面を書いた記事が載った新聞を引き裂く女学生もいたというから、これはもうグルーピーか(死語?)。

 肝心のピッチングの内容は「よくまとまっている」という意見が多かった。スピードはさほどなく、変化球もさほど見るものはなかったが、何となく結果は出しているという状態らしい。
 
 これがオープン戦2勝目、さらに続く中日戦でも救援勝利で3勝目。三原脩監督が期待している“勝ち運”は、確かに持っているように思われた。

 黒い霧事件以後、野球選手の黒い交際が盛んに週刊誌で取り上げられていた。広島の根本陸夫監督が安藤昇の舎弟だとか、中日の江藤慎一の後援者に元住吉会の人物がいた、と言ったたぐいのものだ。
  
 その江藤獲得に失敗したヤクルトの松園オーナーは中日に文句たらたら。
「中日さんの条件は変わり過ぎますよ。去年の12月には金銭でOKと言いながら、私が江藤君の気持ちをつかむと、15勝投手との交換と言い出した。そればかりか、今度はエースとの交換じゃないと応じられないといってくる始末でしょ。プロ野球の経営者として、こんないい加減なやり方は納得できません」
 そういえば「アトムズ」から「ヤクルト・アトムズ」になることが正式に決まったようだ。

 では、またあした。

<次回に続く>