一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

パに助っ人コーチブーム?



表紙は巨人・王貞治


 今回は『1971年2月1日号』。定価は80円。
 
 最下位から2位に浮上した南海。さすが野村克也兼任監督と言いたいところだし、マスコミの論調もほぼそうだったのだが、ライバル球団の目は違った。
 彼らは南海浮上の最大のキーマンとして、ブレイザーコーチの手腕に注目していた。
 それはそうだろう。自分たちのサイン、投手のクセがことごとく盗まれていたのだから。

 翌71年に向け、パ球団は急きょ東映がカールトン半田(半田春夫)、阪急がスペンサー、近鉄は広田順を二軍監督として招へいしている。
 半田、広田は日系人であり、どのくらいメジャーの情報に明るかったかは謎だが、それほどブレイザーが脅威だったという証拠ともいえるだろう。

 ちなみに半田は南海、中日でプレーし、引退後は2チームでコーチもしていたが、前年ハワイに戻り、ハイスクールで体操の指導をしていた。広田も日本球界から離れた後はハワイでアマチュア野球の指導をしていたという。

 一方、スペンサーはメジャー経験も豊富で、阪急での現役時代、ブレイザー以上にクセ盗みに長けた男だったが、西本幸雄監督との確執から68年限りで退団し、アメリカでレストラン経営、株などをやっていた。
 今回は、株で大失敗し、仕事を探していたところを阪急から声をかけられ、復帰となったようだ。球団では選手兼任コーチとも考えているようだが、果たして。

 ヤクルトの石戸四六が姿を消した。キャンプ目前なのにいまだ契約更改も終わっておらず、連絡もつかない。
 球団は石戸の実家秋田県大館に何度も電報を打ったが、返事がなかったという。
 徳永球団重役は、
「胃と肝臓が悪いんでどうにもならんのだろう。体のコンディションも練習をやれる状態ではないからな。
 長い間の酒がたたったんだろう。イシは素質十分の投手だったんだがな」
 と言っていた。

 石戸が故郷に帰ったのは前年の暮れ。契約更改で25パーセントダウンを提示された後だ。サインはせずに、
「しばらくクニに帰ってくるよ」
 と言って消えた。このとき、
「どうも酒がまずくなった。一升二升でもいけたのに、最近はビール1本でも嫌になるんだから体がどこか悪いんだ」
 とこぼしていたという。医師からは「このままでは野球などとても」と言われていたらしい。

 酒仙投手とも言われた、大酒のみだった。優しい人で、他人に絡むような悪い酒ではないようだが、気が大きくなるところがあり、茨城県から秋田にタクシーで帰ったり、1000円ほども距離なのにタクシーの運転手に1万円をわたし、「釣りはいらん」ということも多かったという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM