名球会入りのハードルは高い。プロ野球界で大きなインパクトを残してきた大エースたちが入会資格の通算200勝に届かなかったケースは珍しくない。杉浦忠、斎藤雅樹、石井一久……惜しくも200勝に届かなかった投手たちを振り返ってみよう。


巨人・江川卓

・江川卓(元巨人)
266試合登板 135勝72敗3セーブ 防御率3.02

 現役通算135勝が物足りなく感じるのは高校時代の衝撃が大きかっただろう。作新学院高でセンバツの一大会通算最多奪三振60個、8者連続奪三振、春夏通じて甲子園で奪三振率14.0と驚異的な記録を残した。当時はスピードガンがなかったが、「160キロを超えた」と対戦した打者が口をそろえるほどだった。2度のドラフト拒否を経て社会問題になった「江川事件」で巨人に電撃入団。最多勝を2度獲得するなど入団2年目から8年連続2ケタ勝利と白星を重ねたが、9年目のオフに右肩の故障が限界に達したと引退を発表。日本中が驚いた。


南海・杉浦忠

・杉浦忠(元南海) 
577試合登板 187勝106敗 防御率2.39

「史上最強のアンダースロー」と呼ばれ、新人で開幕投手を務めて27勝をマーク。2年目は38勝4敗でリーグ優勝に貢献してMVPを獲得し、日本シリーズの巨人戦では第1戦から4連投し、4連勝の大活躍で南海を初の日本一に導いた。プロ入りから3年1カ月で史上最速の通算100勝に到達し、プロ7年目までに164勝をマークするが右腕の血行障害で握力は大きく低下。何度も引退を考えたが周囲の慰留もあり、その後は主に救援で活躍。プロ13年間を駆け抜けた。


西武・西口文也

・西口文也(元西武) 
436試合登板 182勝118敗6セーブ 防御率3.73

 縦に落ちるスライダーを武器に2度の最多勝を獲得、2ケタ勝利を10度マークした。200勝も射程圏内に入っていたが、現役時代の終盤は右肩痛に悩まされて13年から3年連続未勝利で現役引退を決断した。平成のパ・リーグを代表する投手として名前が挙がるが、ノーヒットノーラン、完全試合まであと一歩で逃したことが3度もあり、日本シリーズも7回登板したが0勝5敗で一度も勝つことができず、ツキのなさも話題になった。


巨人・斎藤雅樹

・斎藤雅樹(元巨人) 
426試合登板 180勝96敗11セーブ 防御率2.77

「平成史上最強の投手」の呼び声高く、抜群の安定感を誇った。入団後に当時の藤田元司監督の助言でオーバースローからサイドスローに転向すると素質が開花。巨人の絶対的エースとして2年連続20勝、11連続完投勝利を記録するなど、史上4人目の沢村栄治賞を3回受賞した。サイドスローからのキレ味鋭いスライダーと伸び上がる速球が武器だったが、現役時代の終盤は右腕の故障に加え、足の内転筋の故障などで球威が衰えて登板機会が減少。体力の限界でプロ20年目を目前に現役引退を決断した。


ヤクルト・石井一久

・石井一久(元ヤクルト、MLBドジャース、メッツ、西武)
NPB 419試合登板 143勝103敗1セーブ 防御率3.63
MLB 105試合登板  39勝34敗  防御率4.44

 150キロを超える直球と、カーブと見間違える大きな変化のスライダーを武器に三振の山を築いた。自己最多の14勝を挙げた98年にはシーズン三振奪取率11.047の日本新記録を樹立。一方で暴投も多く、荒れ球が打者の脅威だった。個性的な性格も注目され、テレビ番組に当時出演した際は「サッカーをやりたかった」などと発言して大きな反響を呼んだ。日米通算182勝をマーク。「まだやれる」という声もあったが、200勝に全く固執することなく現役引退した。
 
写真=BBM