読売ジャイアンツ



巨人・高橋由伸

 教科書どおりのリードオフマンタイプが一番を打つことが多かったが、1990年代中盤以降は清水隆行、坂本勇人、長野久義など三番を打てるタイプの選手が務めることが多くなった。中でも強烈なインパクトを残したのが2007年の高橋由伸だろう。原辰徳監督が開幕戦から「一番・右翼」で起用。横浜との開幕戦(横浜)の第1打席では先発の三浦大輔の初球を右翼席へ運び、リーグ史上初の開幕戦初球先頭打者本塁打とした。その後もシーズンを通して好調を維持し、最終的に打率.308、35本塁打、88打点をマークしてリーグ優勝に貢献。開幕戦で記録した先頭打者弾はシーズン記録となる9本まで伸ばすなど、破壊力のある一番打者は他球団に恐れられた。翌08年も一番を打ったが、腰痛で戦線離脱を繰り返したのは残念だった。

阪神タイガース



阪神・赤星憲広

 1985年に34本塁打を放ち球団初の日本一に貢献した真弓明信、2003年に打率.340で首位打者に輝きリーグ優勝に貢献した今岡誠と強打の一番打者が多い阪神。しかし、最強のトップバッターというとやはり05年のリーグ優勝以来、一番を任された赤星憲広だろう。デビューの01年から5年連続盗塁王で03年からは3年連続60盗塁以上を記録。まさに相手バッテリーが走者に出したくないイヤな打者であった。赤星が新人時代の監督で、当時楽天の野村克也監督は「赤星を塁に出すのはソロホームランと同じ」と交流戦ではバッテリーに執拗にけん制を指示した。名前の赤星から「レッドスター」のニックネームで人気も博した。

広島東洋カープ



広島・高橋慶彦

 機動力野球をチームの伝統とするだけあって、一番打者の名選手は枚挙にいとまがない。打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成した1995年の野村謙二郎や、初回先頭打者本塁打を8本放った99年の緒方孝市をはじめ、山崎隆造、正田耕三、近年は田中広輔もいる。それでもカープのリードオフマンと言えば、最もイメージが強いのは、70年代後半から80年にかけて一番打者を務めた高橋慶彦だろう。79年にはプロ野球最多記録である33試合連続安打を記録してVに貢献。83年の打率.305、24本塁打、70盗塁は、トリプルスリーを上回る貢献度と言って差し支えない。カープ機動力野球の伝統を作った男として、忘れられない選手だと言える。

中日ドラゴンズ



中日・高木守道

 俊足巧打のトップバッターとして1970年代のチームを牽引した。それまでは中利夫との一・二番コンビで主に二番を務めていたが、中の引退後には一番に定着。「二番のときは制約が多かったが、一番になったことで自分の出塁に集中することができた」とのちに高木は語っている。小柄ながらパンチ力もあって本塁打もかっ飛ばし、トップバッターとしての存在感を一段と強めた。20年ぶりのリーグ優勝となった1974年に発売の『燃えよドラゴンズ』に出てくる「一番高木が塁に出て〜」という歌詞は、あまりに有名だ。三拍子揃った一番打者として相手投手にとっては脅威だったに違いない。名二塁手としてのイメージが強いが、すべてを備えた一番打者でもあった。

東京ヤクルトスワローズ



ヤクルト・青木宣親

黄金期を築いた90年代の飯田哲也、トリプルスリーを達成した2015年の山田哲人など、トップバッターとして鮮烈な印象を残した選手は多い。だが、最強と言えば青木宣親だろう。青木は2006年、全146試合に一番で先発出場。これは詳細なスコアが残っている1952年以降では、唯一の記録だ。この年は前年に続いて最多安打、さらには盗塁王のタイトルを獲得し、打って走って、一人でチャンスをお膳立てした。翌2007年は117試合に一番で出場し、最高出塁率を記録。現在はクリーンアップに座ることが多いが、それはヒットメーカー・青木の評価が、今も変わらない証だろう。

横浜DeNAベイスターズ



横浜・石井琢朗

 石井琢朗で異論はないだろう。1989年に投手として入団し、ルーキーイヤーには初白星も手にしている。92年から野手に転向すると攻守走の3拍子そろった内野手として不動のレギュラーとなり、96年には一番に定着。以後、シーズンによって二番に座ることもあったが、10年以上にわたりベイスターズのリードオフマンを務めた。98年にはマシンガン打線の火付け役として最多安打と盗塁王のタイトルを獲得し、リーグ制覇と日本一に貢献。2006年には2000安打も達成した。プロ通算成績は、2432安打、102本塁打、670打点、打率.282、358盗塁。

写真=BBM