自前で獲得した外国人選手が活躍しているチームとして挙げられるのがヤクルトだ。例えばシーズン最多本塁打記録を樹立したウラディミール・バレンティンや、外国人選手初の日米通算2000安打を達成したアレックス・ラミレスなど、振り返ると「大当たり」の外国人を多く見いだしている。今回は、有望助っ人王国ヤクルトの自前助っ人を振り返ってみる。

1980年代までは打撃面で貢献した助っ人が多かった



ヤクルト・マニエル

 ヤクルトは1950年に国鉄スワローズとして誕生したが、国鉄時代、サンケイ時代、アトムズ時代となかなか上位進出ができなかった。そんな不遇の時代を支えた助っ人が、デーブ・ロバーツとルー・ジャクソンの2人だ。1967年に加入したロバーツは、1968年には40本塁打を放つなど長打を武器にチームをけん引。ジャクソンも3年連続20本塁打以上を記録と大きく貢献した。

 ヤクルトは球団創設29年目の1978年に初のリーグ優勝と日本一に輝いたが、これに大きく貢献したのがチャーリー・マニエルとデーブ・ヒルトンだった。マニエルは1976年に加入し、翌1977年に打率.316、42本塁打、97打点と活躍。続く1978年は打率.312、39本塁打、103打点と再び好成績を残した。ヒルトンは1978年に入団し、巧打の一番打者として活躍。2人の存在なくしてチーム初のリーグ優勝、日本一制覇はなかった。

 1980年代に入ると、1年で退団したもののリードオフマンとしてプレーしたサム・パラーゾや、NPB初の“サイクル本塁打”を達成したジョン・スコット。1987年には93試合の出場ながら31本塁打を放ったボブ・ホーナーが入団している。残念ながらホーナーは1年で退団するも、1989年にはMLB実績のあるラリー・パリッシュを獲得した。「ワニ肉が好き」というコメントが印象的だったパリッシュは、その年にいきなりリーグ最多の42本塁打でタイトルに輝いている。

 1980年代の終わりまでに活躍した助っ人を振り返ると、打撃面で貢献した助っ人がほとんど。投手の助っ人はそもそも獲得数が少ないため、なかなか「大当たり」が引けなかった。

1990年代はハウエル、ホージー、ペタジーニが加入



ヤクルト・ペタジーニ

 1990年代に活躍した助っ人としては、まず1992年に入団したジャック・ハウエルが挙げられる。加入1年目はなかなか調子が上がらなかったが、シーズン後半に大爆発し、リーグ最多の38本塁打を記録。MVPも受賞した。さらにマークが厳しくなった翌年も28本塁打と、ヤクルト在籍3年間で86本塁打を放っている。

 1993年はシーズン3割を記録して下位打線を支えたレックス・ハドラーが入団。残念ながら外国人登録枠の問題や球団の意向が原因でこの年限りのプレーとなったが、チームの日本一に大きく貢献した助っ人だった。1995年はサンフランシスコ・ジャイアンツからテリー・ブロスが加入した。ブロスは1年目から14勝を挙げて最優秀防御率のタイトルを獲得。翌年、翌々年は黒星が上回ることになりチームを退団したが、1年目の巨人戦で見せたノーヒットノーランを覚えているファンは多いだろう。

 1997年はレッドソックスからドゥエイン・ホージーを獲得した。当初はあまり期待されていなかったが、野村克也監督の指導を受けて「他球団を積極的に研究する」ようになり、これが功を奏してリーグ最多の38本塁打を記録。打撃力もさることながら明るい性格も評判で、一躍人気選手となった。

 1999年、前年オフにホージーが退団していたヤクルトは新たな大砲としてレッズからロベルト・ペタジーニを獲得。ペタジーニはいきなり44本塁打で最多本塁打のタイトルに輝いた。その後、2002年オフに退団するまでに160本のアーチを放ち、チームに大きく貢献。年上すぎる奥さんを持つことでも話題になった。1999年には在籍2年間で20勝を挙げたジェイソン・ハッカミーも加入していた。

2000年以降は打者だけでなく投手でも助っ人の活躍が目立つ



ヤクルト・ラミレス

 2001年にはヤクルトだけでなくNPB史に残る助っ人、アレックス・ラミレスが入団した。ラミレスは高いバットコントロールの技術と長打力を武器に2008年に巨人に移籍するまで活躍した。ラミレスと同じ2001年には、翌2002年に最多勝のタイトルを獲得するケビン・ホッジスも入団獲得している。

 2004年はヤクルトでは活躍できなかったが、巨人に移籍後に目覚ましい活躍を見せるディッキー・ゴンザレスが入団している。2005年に加入したアダム・リグスは、規定打席未到達ながら3割を記録。翌年は主に二番打者を任されたが、打率.294、39本塁打、94打点と二番打者とは思えない活躍を見せた。2007年は最多本塁打のタイトルは獲得できなかったものの、長打を武器に貢献したアーロン・ガイエルと、16勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得するセス・グライシンガーが加入。投打で優秀な助っ人を見いだしているのだ。

 2011年はウラディミール・バレンティンを獲得。在籍9年のうち8年でシーズン30本塁打以上を記録し、3年連続最多本塁打やシーズン最多本塁打など、打撃面だけで見れば、NPB史上最高の助っ人と言っても過言ではない。

 近年のヤクルトは、中継ぎ・抑えで活躍する助っ人を多く見いだしている。例えば2008年はチームの守護神に成長する林昌勇、2010年はMLBに移籍した林の後を継いで抑えを任されたトニー・バーネットを獲得している。2015年のローガン・オンドルセクや、2018年のデーブ・ハフ、2019年に加入して中継ぎ陣を支えたスコット・マクガフも、「当たりの助っ人」だった。

 ちなみに、ヤクルトから巨人に移籍する助っ人が多いといわれるが、実はジャック・ハウエル、ロベルト・ペタジーニ、アレックス・ラミレス、ディッキー・ゴンザレス、セス・グライシンガーと5人しかいない。好成績を残した助っ人ばかりのため「引き抜かれた!」という印象は強いが、人数はそこまで多くないのだ。

 ヤクルトの助っ人を振り返ってみたが、投手よりも打撃面、特に長打力のある助っ人を多く見いだしている。2000年以前も優秀な長距離砲が多いが、やはりラミレスやバレンテインといった、NPB史に残るバッターを獲得しているのは大きい。もちろん「がっかり助っ人」も少なくないが、こうして振り返るとヤクルトの外国人選手を見る目は優れていると言っていいだろう。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM