先発、中継ぎ、抑えの役割が確立している時代で救援陣の充実は、チーム強化に不可欠な要素だ。試合の途中で荒れたマウンドに上がる投手たちは縁の下の力持ちのイメージが強いが、一世を風靡した強力救援陣は時代を超えて語り継がれる。今回は多くの野球ファンの脳裏に深く刻まれている「勝利の方程式」を紹介したい。


阪神・久保田、藤川、ウィリアムス(左から)

【阪神】
ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之(2005〜08年)

 3投手の名前のイニシャルを取って「JFK」と呼ばれた。3投手の武器は球威十分の直球だ。ウィリアムスは左のサイドからスライダーが決めだったが、直球も150キロ台を計測、藤川は打者の手元でうなる代名詞の「火の玉ストレート」で三振の山を築き、久保田もトルネード気味のフォームから球質の重い直球で打者をねじ伏せた。05年にリーグ優勝して脚光を浴び、08年までの4年間で3投手は計788試合に登板。05、06年は久保田が守護神を務め、07年から藤川に代わった。07年は特にすごかった。ウィリアムスが60試合登板で1勝2敗、防御率0.96、久保田が90試合登板で9勝3敗、防御率1.75、藤川が71試合登板で5勝5敗46セーブ、防御率1.63と「7回以降はチャンスがない」と相手を震え上がらせるほど強力なトリオだった。


ソフトバンク・攝津

【ソフトバンク】
攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩(2009〜10年)

 09年に新人の攝津正、新外国人のファルケンボーグがセットアッパーとして抜群の安定感を見せ、守護神・馬原につなぐ必勝リレー。3投手の名前のイニシャルと、姉妹会社の「ソフトバンクモバイル」にあやかって「SBM」と呼ばれるようになった。攝津はパ・リーグ新人最多記録の70試合に登板して34ホールドをマークし、最優秀中継ぎ賞と新人王を獲得した。ファルケンボーグもリーグ2位の23ホールドで、馬原は29セーブをマーク。翌10年はこの3投手に加え、甲藤啓介も65試合登板で15ホールドと奮闘。甲藤は背番号48だったころから、4投手で「SBM48」とも呼ばれた。


西武・潮崎

【西武】
鹿取義隆、潮崎哲也、杉山賢人(1993年)

 森祗晶監督が「サンフレッチェ」と命名した救援トリオ。93年に3投手全員が40試合以上に登板して抜群の安定感を誇った。杉山は新人王を獲得、潮崎は53試合登板で6勝3敗8セーブ、防御率1.18と驚異的な数字を残した。90年からリーグ5連覇を飾った西武黄金時代で工藤公康、渡辺久信、郭泰源ら強力投手陣、秋山幸二、清原和博、デストラーデ、石毛宏典らタレントぞろいの打線が注目されがちだが、救援陣の屋台骨を支えた鹿取と潮崎の貢献度は計り知れない。90年に巨人からトレードで加入した鹿取は鉄腕ぶりを発揮し、潮崎は魔球・シンカーで打者をほんろう。鹿取、潮崎の両サイドスローにあこがれてマネする野球少年たちが増えるほど影響力があった。


中日・浅尾

【中日】
浅尾拓也、岩瀬仁紀(2008〜13年)

 10年、11年のリーグ優勝に大きく貢献するなど落合博満政権を支えた勝利の方程式。セットアッパーの浅尾は10年に72試合登板で21試合連続ホールドポイント、日本記録のシーズン47ホールドを達成した。11年も79試合登板で45ホールドをマークし、防御率0.41と圧巻の成績でリリーフ投手として史上2人目の最優秀選手に輝いた。守護神の岩瀬は05年から9年連続30セーブをマーク。15年連続50試合以上登板、計1002試合登板、407セーブはいずれもNPB歴代1位の金字塔を打ち立てた。中日は高橋聡文、鈴木義広、小林正人らも縁の下の力持ちとして支えたが、浅尾と岩瀬の活躍は12球団を見渡しても図抜けていた。リリーフの最強コンビとして両投手の名前を挙げる選手は球界でも多い。


ロッテ・小林雅

【ロッテ】
薮田安彦、藤田宗一、小林雅英(2004〜06年)

 05年にロッテが31年ぶりの日本一に輝いたのは、「YFK」と呼ばれた薮田、藤田、小林雅の功績が大きかった。同年は薮田が51試合登板で7勝19ホールド、藤田が45試合登板で1勝24ホールドとセットアッパー役を担い、守護神の小林雅が29セーブをマークして最多セーブ賞を獲得した。薮田は04〜07年の4年間で計222試合以上登板して07年に34ホールドで最優秀中継ぎ賞を受賞。藤田も入団1年目から5年連続を含む7シーズンで50試合以上登板と鉄腕ぶりを発揮した。小林雅も「幕張の防波堤」の異名で守護神を務めるなど、3投手は救援陣に欠かせない存在だった。

写真=BBM