今年のドラフト候補・佐々木健



NTT東日本・佐々木健

 先週発売の週刊ベースボール5月18日号は、ドラフト特集だった。NTT東日本に所属する3人のドラフト候補に取材したとき、左腕の佐々木健投手のこれまでの人生が、なんとも運命的な話に思えた。

 誌面にある佐々木のプロフィルには「小学校5年生から野球を始めた」とあるが、これは微妙に正しくない。佐々木は青森県出身で、小学校は全校生徒40人程度だったという。のちに地域の小学校がいくつか統合し、そうして新設された少年野球チームに所属した。それが小学校5年生だったということだ。それまでは毎日グラブを携えて父の帰りを待ち、キャッチボールをしていた少年だった。

 その後、中学の軟式野球部を経て木造高へ進学するのだが、進学を決めたのは、「僕が中3のときに、木造高が夏の県大会でベスト4まで行ったんです。コールド負けだったんですけど、相手の八戸学院光星高は、その後甲子園で準優勝。光星を倒せば甲子園に行けるレベルなのかなと思いましたし、そのとき3年生のマネジャーが僕の姉で、監督の性格や指導とかも聞いていていいなと思っていました。地元から甲子園に行けるかもしれないと思って、そこに惹かれた」という理由だった。

 木造高を卒業後は小野泰己(阪神)や多和田真三郎、山川穂高(ともに西武)を輩出した富士大に進学する。近年、プロ選手を多く育て上げている同校だが、進学の決め手は「僕の1個上のキャプテンが富士大に行って、そこからパイプをつくってくれたというか、ルートができたので富士大に入りました」というもの。木造高、富士大と、佐々木は徐々に全国区へと足を踏み入れていった。とはいえ「富士大に入ったときは、本当にレベル高いなって思いました。同級生のピッチャーだけでも15、16人いて。一人ひとりを見てもレベル高かったですし、自分の中で勝手に“1年生投手ランキング”をつくったときに、自分は下から数えたほうが早いなと思いました」という状況だったと言うのだが。

 それでも、1年秋にはベンチ入りを果たす。4年の夏には、大学日本代表の選考合宿にも召集された。しかし、プロ志望届は提出しなかった。「自分の中ではプロ志望が強かったんですけど、大学からプロに行くためには3年生までには結果を1回くらいは残しておかなきゃという思いがありました。でも結果を出せなかったので、3年の秋には大卒でプロ入りはあきらめてましたね。でもそう決めたとき、僕に1年後のドラフトは直接関係ないけど、ドラフト当日『もし志望届を出してたら絶対プロに行けたね』と言われるレベルまでになりたいと」。その決意どおり、佐々木は大学4年春秋の2シーズンだけで、計8勝を挙げる。そして佐々木の同級生である鈴木翔天は、楽天から8位指名を受け、プロの世界へ羽ばたいていった。

 社会人で2年間を戦ってのプロ入りを夢見て、佐々木は都市対抗で2度の優勝を誇るNTT東日本に入社する。入社当初から期待され、都市対抗予選や本戦など、大事な局面を任されてきた。最速152キロを誇る佐々木は今、あるNPBスカウトから、「社会人No.1左腕」と評価されている。だが、本人は笑って否定した。

「それは絶対ないです(笑)。NTTだったら沼田(優雅)さんだったり、同じ地区で言えば鷺宮製作所の野口(亮太)さんだったり。上を見たらいくらでもいると思います。その人たちと比べれば、僕は投球術だったり試合で勝つ能力で言ったら、絶対的に負けてるので、その人たちと並べるくらいの勝てる能力がついたら、球速とあいまって評価していただけるのかなとは思いますが」

 青森の野球少年だった佐々木は、取材の最後、こう言った。「僕の田舎で野球をやってたら、どうやってプロに行けばいいのか分からないまま終わっちゃう可能性もあったと思うんですけど、NTTにいることでプロに近いレベルを直接感じられているなと思います。周りの良いお手本になってくれるピッチャーがたくさんいて、その中で自分の実力を俯瞰して測れます。そこはプロに行くために良い環境というか、自分を試されているような感じはしますね。この環境でプロに行けなかったら、自分の能力が足りなかったんだ、そこまでの選手なんだとあきらめるくらいの環境です」

 いくつもの巡り合わせで、ドラフト候補に名を連ねるようになった佐々木。新型コロナウイルス感染拡大の影響で社会人球界では公式戦の中止や延期が相次ぎ、プロ野球も開幕が見えない。各球団のスカウトの視察もままならない状況で、ドラフト会議も不透明だ。それでも、運命的な何かが、また佐々木を導いてくれそうな気がする。

文=依田真衣子 写真=BBM