埼玉西武ライオンズ



西武・工藤公康

 西武で実働14年、通算113勝を挙げた工藤公康(現ソフトバンク監督)がライオンズ史上最強の先発左腕だ。高卒1年目の82年から開幕一軍ベンチ入りして英才教育を受けた。3年目にアメリカへ野球留学すると4年目から本格的に先発ローテーション入り。キレのある直球、カーブを軸に相手を抑え込み、防御率2.76でタイトルを獲得。最優秀防御率は西武では87、93年にも手にしている。西武在籍時に最高勝率にも87、91、93年の3度輝くなど、チームに勝利を呼び込む先発左腕だった。95年にFAでダイエーへ。その後、巨人、横浜と渡り歩き、2010年西武復帰。しかし、1年限りで戦力外通告を受け退団し、翌年末に現役引退を表明。47歳まで投げ続け、史上13位の224勝をマークした。

福岡ソフトバンクホークス



ソフトバンク・杉内俊哉(左)、和田毅

“松坂世代”の左腕・杉内俊哉と和田毅は、ホークスで切磋琢磨し、球界を代表する投手へと成長を遂げた。頭角を現したのは2003年。社会人を経て入団した杉内は2年目、和田は大卒1年目だったが、ともに先発ローテに定着して2ケタ勝利をマーク。リーグ優勝、日本一に貢献した。以降も、仲間として、良きライバルとして、支え合い戦ってきた2人の存在は、当時のホークスにとっては欠かせないものに。11年オフにFA権を行使して杉内が巨人に、和田がメジャーに行くまで、杉内が6度、和田は7度、2ケタ勝利を挙げた。頼もしき左腕エースコンビだ。「スギがいたからこそ、プロ野球選手でいられた。どんどん自分もレベルアップできた」と語る和田は、16年に古巣復帰。左肩痛からの復活を果たし、今季も先発ローテの一角として腕を振る覚悟だ。

オリックス・バファローズ



阪急・梶本隆夫

 186センチの長身からムチのように腕をしならせ、快速球を投げ込んだのが梶本隆夫だ。南海の宅和本司が26勝を挙げたことで新人王を手にすることができなかったが、高卒1年目の1954年に開幕投手を務めて20勝。56年には28勝を挙げ、57年4月23日の南海戦(西宮)では9連続奪三振をマークするなど、右腕の米田哲也とは「ヨネカジ」と呼ばれて低迷期のチームでフル回転した。67年以降は球速の衰えもあって技巧派にモデルチェンジ後も、しっかり先発ローテを守り続けて通算254勝(255敗)。名球会入りで負け越している選手はただ一人であるように、その鉄腕ぶりはすさまじかった。

北海道日本ハムファイターズ



日本ハム・間柴茂有

 ルーキーイヤーに22勝をマークした木田勇も有力候補の1人だが、トータルで日本ハム史上最強の先発サウスポーを挙げるなら間柴茂有を推したい。1978年に交換トレードで大洋から日本ハムに移籍。貴重な左腕として移籍1年目から自己最多となる7勝をマーク。その後も80年に初の2ケタ勝利(10勝)を挙げると、日本ハムがリーグ優勝を飾った81年には戦後初となる「勝率10割」の15勝0敗という圧巻の活躍を披露。文句なしで最高勝率のタイトルも獲得し、一躍その名を轟かせた。

千葉ロッテマリーンズ



毎日・荒巻淳

プロ入り前からメジャーの伝説的な剛腕ボブ・フェラー(インディアンス)にたとえられた荒巻淳。社会人から毎日オリオンズの創設に参加すると、すさまじい快速球でチームを優勝、日本一に導き、“火の玉投手”と評された。結果、1年目の1950年は26勝(8敗)、防御率2.06で投手2冠、新人王に。ヒジ痛を経て技巧派として復活してからは“精密機械”とも。阪急に移籍した62年限りで引退し、現役13年間で通算173勝103敗、防御率2.23と、速球派、技巧派の両方で活躍。球団創設時の“元祖”であり“最強”の左腕エースである。

東北楽天ゴールデンイーグルス



楽天・辛島航

 現役の2人、辛島航と塩見貴洋に絞られるだろうが、通算48勝を挙げている辛島としたい。福岡・飯塚高から2009年ドラフト6位で入団し、12年以降はほぼ先発として登板。20試合以上先発しているのは2014年と18年のみだが、先発ローテの一角に定着している。ただし2ケタ勝利はまだなく、19年も9勝止まりで高い壁に阻まれ続けている。試合数が減る20年シーズンは難しいかもしれないが、2ケタ勝利を実現させてこそ、「最強」の2文字にふさわしい先発左腕となるはずだ。

写真=BBM