歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

「3回はさすがにしんどかった」



1971年の阪神・江夏豊

 巨人の江川卓がオールスター記録の9連続奪三振に迫ったことは紹介したばかりだ。オールスターの規定では、1人の投手が投げられるのは原則的に3イニングまで。原則的というのは、大洋の斉藤明夫が延長戦を含む5イニングを投げたことがあるからだが、そこから規定が改められて、その後は延長戦でも3イニングを超えて投げることはできなくなっている。つまり、9連続奪三振はオールスターで到達できる最高の頂点ということだ。江川は実はタイ記録を阻んだ近鉄の大石大二郎に対しては振り逃げを取ろうとしていて、10連続で新記録を狙っていたとも言われる。やや逆説的になるかもしれないが、初の、そして現在のところ最後のオールスター9連続奪三振を達成した阪神の江夏豊が、どれほどのインパクトを残したかが分かるエピソードだ。

 ただ、その1971年の前半戦、プロ5年目を迎えた江夏は苦しんでいた。6勝9敗、防御率3.12。9敗はともかく、勝ち星も防御率も、近年の感覚なら不振とは思えないが、68年に25勝で最多勝、69年は防御率1.81で最優秀防御率、70年にも21勝と大台を超えた江夏にすれば、明らかな失速だった。心臓の頻脈もあり、断酒するほどコンディションも悪かったという。それでも、ファン投票1位でオールスターの出場が決まる。

 意気に感じた一方で、出場の辞退も頭をよぎったというが、第1戦(西宮)のゲーム前に顔見知りの記者から「お前、こんな数字で、よう出てきたな」と言われて、カチン。ただ、「せっかく出してもろうたんやから、なんか記録を狙ってみいや」と続いた言葉に激励を感じる。68年にシーズン401奪三振の世界記録を樹立している江夏に求められているものは自明だった。

 このときから9連続を目指したとも、とにかく初回だけは3者三振で終わろうと考えたとも言われるが、いずれにしても目の前の打者から三振でアウトを取ることには変わりはない。セ・リーグの先発を任された江夏は、まず1回裏、有藤通世(ロッテ)、基満男(西鉄)を連続で三振に。続く長池徳二(阪急)は「32試合連続安打してる人だから難しい球を使わせてもらいました」(江夏)と予想外のフォークで三振。まずは3連続三振だ。

 そんな江夏を勢いづけたのは続く2回表。打席に入った江夏は、二死から米田哲也(阪急)の2球目をとらえて3ランに。球宴での投手の本塁打は11年ぶり2人目。その裏もクリーンアップ3人すべて三振で斬って取り、「さすがにしんどかった」(江夏)3回裏を迎える。

「時間を待つのが怖かった」



オールスターで9者連続三振を達成した瞬間

 ただ、快挙への流れは止まらず。阪本敏三(阪急)、岡村浩二(阪急)から連続で三振を奪い、9人目は初出場の加藤秀司(阪急)だ。1ボール1ストライクからの3球目はネット裏へのファウル。江夏はペナントレースでもバッテリーを組む田淵幸一に「捕るな!」と叫んだと報じられたが、「ボールを追って戻るまでの時間を待つのが怖かった。早く投げたかったから『追うな』と言った」(江夏)のだという。

 そして4球目、加藤は空振り。オールスター唯一の快挙を達成して、江夏はマウンドを降りた。これで調子を取り戻した江夏は、後半戦は順調に勝ち進んで最終的に15勝、リーグ最多奪三振も5年連続とする。ちなみに、江夏は前年、70年のオールスターでも最後の5人から連続で三振を奪っており、14連続奪三振も新記録。72年も先頭打者から三振を奪い、15連続奪三振とした。

 だが、この71年の第1戦は江夏の独壇場ではなかった。マウンドを託された2番手の渡辺秀武(巨人)は2イニング、3番手の高橋一三(巨人)が1イニングを無安打に抑えると、4番手の水谷寿伸(中日)は打球を右手親指に受ける不運も投ゴロ、急遽リリーフに立った小谷正勝(大洋)も出塁を許さず。9回裏二死から切り札としてヒットメーカーの張本勲(東映)が代打に立つも凡退。5回裏の1失策、6回裏の1四球のみでオールスター史上初の継投ノーヒットノーランが達成される。全5投手が奪った計16奪三振もオールスター新記録だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM