「カトられる」と言われても



巨人で始まったリリーフ人生。鹿取は「信頼、信用」がリリーフにとって大事な要素だという

 巨人からロッテにトレード移籍した澤村拓一が新天地で輝きを見せている。移籍後初登板となった今月8日の日本ハム戦(ZOZOマリン)で三者連続三振とロッテファンの心をつかむと、11日のオリックス戦(ZOZOマリン)も無死二塁のピンチで登板して無失点に切り抜ける快投。ソフトバンクと激しい首位争いを繰り広げる中、勝利の方程式を担う澤村の活躍がカギを握りそうだ。

 そんな澤村の良きお手本になる野球人生を歩んだリリーバーがいる。巨人、西武でプレーした鹿取義隆だ。鹿取は高知商高、明大を経て1979年ドラフト外で巨人に入団。大学卒業後は社会人野球、日本鋼管に進む予定で、江川事件により巨人が出席をボイコットした同年のドラフト会議で指名を受けなかったが、ドラフト会議直後に巨人から獲得の打診があり、ドラフト外で入団が決まった。

 1年目から中継ぎで一軍に定着し、チーム事情で先発ローテーションの谷間で投げることも。右のサイドハンドからキレの良い直球とスライダー、シンカーを武器に打者心理を読む投球術に長けていた。87年にはリーグ最多の63試合に登板して7勝18セーブ、防御率1.90をマーク。王貞治監督に重用される一方で、当時ではイニングをまたいで投げることが珍しくなかった。

 その登板過多ぶりが注目され、酷使を意味する「カトられる」が流行語に。ただ、鹿取は「本当に幸せだった。使ってもらえて感謝している」という。「ブルペンでいくら肩をつくっても給料に反映されません。試合に出てナンボの世界なのです。信頼して使ってくれるわけですから、それがありがたく、その期待に応えたいという気持ちだけでした」とマウンドに立ち続けることに喜びを感じていた。だが、監督の交代で運命が変わる。藤田元司監督が復帰した89年に21試合登板と激減。先発完投を重視するチーム方針で鹿取の居場所がなくなり、同年オフにリリーフ陣が弱く近鉄に優勝をさらわれた西武に西岡良洋との交換トレードで移籍した。

リーグ5連覇、3年連続日本一に貢献



巨人時代の経験を生かして西武でもリリーフとして活躍した

 移籍した新天地で力を発揮するのは大きなエネルギーを必要とする。巨人で11年間プレーし、身を削って投げてきた鹿取は当時33歳。ベテランの域に入り、衰えを指摘する声もあった。だが、周囲の心配をはねのける大活躍を見せる。移籍初年度に10試合連続セーブの当時プロ野球新記録を樹立。3勝24セーブで最優秀救援投手に輝き、日本シリーズでも古巣で巨人に無傷の4連勝で日本一を飾った。92年は自身初の2ケタ勝利となる10勝1敗16セーブを挙げるなど、その後も潮崎哲也、杉山賢人らとともに強固な救援陣を結成。90年から5年連続リーグ制覇、3年連続日本一に大きく貢献した。

「リリーフは連投が避けられません。それが仕事です。私の場合、連投で疲れを感じるときこそ慎重にいきました。『より低く、よりコーナーに』と言い聞かせ、コントロールにより重点を置きました。ただ、間が空き過ぎるのも嫌でした。肩が軽いので勢いでいきがちなんです。また首脳陣からも『休んでいたのだから抑えてくれないと』という無言の圧を感じるんです。どちらにしと、とにかく先頭打者を仕留め、早くワンアウトを取ろうと必死でした」

 97年限りで現役引退。40歳までプレーしたタフネス右腕は巨人時代が45勝29敗58セーブに対し、西武時代はこの数字を上回る46勝17敗73セーブを残した。プロ通算755試合登板で91勝46敗131セーブ、防御率2.76。当時は中継ぎ投手の貢献度を測るホールドポイント制がなかったが、「400ホールドを超えていたのではないか」と当時の番記者たちは評価する。一つの球団で現役生活を全うすることは素晴らしいが、鹿取のようにトレード先でも活躍し続ける野球人生にも大きな価値がある。野球のスタイルも環境も違う複数の球団でプレーすることは大きな財産になるだろう。

写真=BBM