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『Netflix』で放送が開始されたドキュメンタリー『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』では、黄金期のシカゴ・ブルズとチームを牽引するマイケル・ジョーダンの軌跡を振り返っている。

 前編、中編では、本シリーズの第三話と第四話に記録された、デトロイト・ピストンズの「ジョーダン・ルール」について、ブルズ目線から彼らの苦悩と解決策に迫った。しかし、他球団は「バットボーイズ」が敷いた「ジョーダン・ルール」の有効性を目の当たりにし、その後も独自の改良を加えて同作戦をジョーダン封じに採用した。一方のジョーダンは、これらの経験を経てワンマンでの限界を感じ、チーム力の向上に専念していくこととなる。

※以下、『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』の一部ネタバレを含んでおります。

◆チームメートへの厳しい要求

 ジョーダンは、自身のプレーヤーレベルの向上と並行して、チームメイトにも同様のタフネスを求めた。その良い例が、1997-98シーズンにジョーダンとともにチャンピオンリングを獲得したスモールフォワードのスコット・バレルだろう。同ドキュメンタリーの作中では、ジョーダンがバレルに罵声を浴びせるようなシーンが記録されている。しかし、ジョーダンはこの行為について、「インディアナ・ペイサーズ、マイアミ・ヒート、ニューヨーク・ニックスとの力量差は、本当にわずかしかなかった。だから、プレーオフを戦い抜くにあたり、バレルにはタフさを身につけ、頼れる男になってもらわなければいけなかった」と説明している。
 ただし、このジョーダンの喝入れは、必ずしも成功したわけではない。最初のスリーピート達成時にブルズに在籍したデニス・ホップソンは、後のスコット・バレルと同様の扱いを受けた選手であるが、練習では日々、ジョーダンとマッチアップして厳しい要求を強いられ続けた。

「“あれ”が、デニス・ホップソンをダメにしてしまった」、当時のロスターであるスコット・ウィリアムズは言う。「5対5、3対3など、どのようなメニューでもホップソンはジョーダンから罵倒され続け、それにより精神的なダメージを受けていました。ある日、ホップが彼にやり返したことがありましたが、私たちはその小競り合いを仲介し、ホップソンをまるで優勝したかのように抱き上げて、ロッカールームまで運びました。でも次の日、もっと衝撃的なことが起こります。1987年のドラフト3位指名のホップソンは、わずか2試合プレーしただけで、翌シーズンにサクラメント・キングスへトレードされることが決定したのです」。

◆レジェンドとして畏怖されていたジョーダン

 一度引退してから再びチームに復帰した「ジョーダン・スタンダード」は、より高いレベルにまで引き上げられた。そして、復帰後のジョーダンに会うや否や、ブルズのロッカールームにいる選手を含むリーグの誰しもが、まるでライオンを見たガゼルのような反応をしていたという。当時のプレーヤーにとって、リビングレジェンドとともにプレーする機会は、どんな恐怖心にも勝るものだった。

 ジャド・ブシュラーは、ジョーダンがチームに帰還してからの最初の練習前、ロッカールームで異様な空気を感じたという。「靴紐を結んでいるロン・ハーパーに一体、何が起きたのかと尋ねました。すると、彼は顔を上げて『あの男がいる』と答えたのです」。

 その日の練習で、ビュークラーはジョーダンと同じチームでプレー。その一環で、ファストブレイクでジョーダンからパスを受けるものの、スリーポイントを外してしまった。「彼は私を5回殴るために、私に大きなミットを渡してきました。その時、思いましたね。『私のキャリアは終了だ。建物から出て、家に帰ろう』と」。それだけ、ジョーダンは周囲から畏怖されていたのだ。

◆モンスターから神様へ

 イースタン・カンファレンスでは、ピストンズに代わり、ニューヨーク・ニックスとインディアナ・ペイサーズが台頭していた。彼らは「ジョーダン・ルール」を模倣し、チームの強みであるフィジカルを活かして、ジョーダンに攻勢を仕掛ける。しかし、ジョーダンは過去の経験から、さらなるタイトル獲得のために自身とチームメートが何をすべきかを理解していた。復帰初年度はプレーオフのセカンドラウンドでオーランド・マジックに屈するも、翌年から、チームは再び優勝を目指す最強のチームへと変貌を遂げる。
 シーズン前のトレーニングキャンプで、当時ブルズの一員だったスティーブ・カーは「毎日が戦争だった」と言い、ジョーダンから目元を殴られたことがある。これについて、ジョーダンは後にカーに謝罪。しかし、カーは偶然でも、悪意のあるものでもなかったと考えているという。

「間違いなく、あれはテストでした」、カーは言う。「ジョーダンは、頼りになる男を求めていました。例えば、ニックスの場合、彼らは第3クォーターまではジョーダンを普通に守ります。しかし、第4クォーターではロールプレーヤーにビッグショットを打たせるために、ジョーダンにボールが渡らないよう、彼にダブルチームを仕掛けてきました」。

 ジョーダンは、策士でもあった。ある試合では、ニックスを率いたパット・ライリーの戦略を読み切り、チームで完璧な試合をした。類稀な技術、鍛え上げられたフィジカル、そして抜群の試合感。すでに、ジョーダンに死角は存在しなかった。だからこそ、対戦相手はフィジカルや駆使した「ジョーダン・ルール」でしか、対抗策を見出せなかったのだ。

 オールデン・ポリニスは、かつてジョーダンとマッチアップした際に、ジョーダンを殴り、退場処分を受けたことがある。「オーソドックスな方法では、彼を止められませんでした。やるべきことは何でもする、そうするしかなかったのです」。ポリニスは、この出来事を境に、彼の偉大さを知ることとなる。「試合後にはいつも母に電話しており、あの日もそうでした。最初に母から『なぜマイケルを殴ったの?』と言われ、私は『ちょっと待って、僕はそれでもあなたの息子だから』と弁明しようとしたのです。ですが、母は『そうね。でも、マイケルだから仕方ないわね』と続けました。その時、彼がどれだけ大きな存在なのかを改めて理解しました」。
 ジョーダンは、二度目のスリーピート達成時にはモンスターと化していた。犬猿の仲にあるアイザイア・トーマスも「彼は死神だ」とジョーダンを称したことがあり、彼はチームメートさえ恐れを抱くほど、唯一無二の存在となった。B.J.アームストロング曰く、ジョーダン本人もその領域に達したことを自覚していたという。

 時には年齢的な衰えが囁かれ、絶大な信頼を置くヘッドコーチとチームメートが球団追放になることもあった。その他多くのプレッシャーと常に隣り合わせだったジョーダンは、数々の困難を乗り越え、幾度となくNo.1であることを証明し、その度にメディアやアンチを黙らせてきた。

 これが、アンストッパブルなモンスターが後に「バスケットボールの神様」と称されるようになった由縁である。

文=Meiji