7日、埼玉県・アイスリボン道場にてWRESTLE−1を主戦場にしてきたルチャドールのエル・イホ・デル・パンテーラが、日本でのラストマッチを白星で飾った。

 同団体の活動休止に伴い、メキシコ本国への帰国を決断したパンテーラは、WNC時代からの“アミーゴ”である篠瀬三十七が代表を務める飛鳥プロレスの4月9日、東京・新宿FACE大会で、最後の試合を行う予定だった。ところが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京都、会場側からの自粛要請があり、同大会は中止になった。

 パンテーラの日本ラストマッチは幻となりかけたが、篠瀬代表と壮行試合に出場予定だった5選手の「なんとか壮行試合をやってあげたい」との強い思いが合致。篠瀬代表は、同日に千葉・2AWスクエアで試合を行うことをいったんは決めたが、千葉県が平日夜間の外出自粛要請の延長を発表したため、これも白紙に。二転三転したが、アイスリボンに相談したところ、佐藤肇社長が快諾。同7日に、埼玉・蕨市のアイスリボン道場で、ワンマッチの無観客による「飛鳥プロレス・スタジオマッチ〜パンテーラ壮行試合」が実現するに至った。

 4・9新宿大会で予定されていた対戦カードが、そのままスライドし、パンテーラは児玉裕輔、瀧澤晃頼と組み、田中稔、大和ヒロシ、勝俣瞬馬(DDT)組と激突した。
 パンテーラは12年夏にWNCマットに初来日し、その後、日本に定着。WNCの活動休止後は、W−1を主戦場にしてきた。児玉とはWNC、W−1で、稔と大和とはW−1で共に闘ってきた間柄。メキシコ修行時にパンテーラに世話になった瀧澤は“ブラザー”と呼んで慕っている。スマッシュ出身の勝俣は直接的なかかわりはないが、引退した篠瀬代表の代人として、リングに上がった。

 それぞれがパンテーラへの思いをはせるなか、試合はパンテーラと勝俣でスタート。パンテーラはジャベ、ウラカンラナなどを繰り出して攻め立てた。稔はパンテーラと激しいエルボー合戦の後、手厳しい場外戦を仕掛けた。さらに、稔組の3人は代わる代わるパンテーラを攻撃するなど、手荒い攻めを見せた。劣勢に回ったパンテーラだが、パートナーの児玉、瀧澤が好アシスト。最後は孤立した大和に、強烈なスワントーンボムを見舞って、3カウントを奪い、見事に日本ラストマッチを勝利で終えた。

 試合後はノーサイド。パンテーラはパートナーの2人のみならず、敵軍の3人ともガッチリ握手を交わして、健闘を称えた。

 バックステージでパンテーラは「7年前、WNCに来て、シノセさん、タジリさん、コダマさん、イケメン(黒潮“イケメン”二郎)さん、ドイ(土肥孝司)さん、タカハシ(高橋匡哉)さん、マコト(真琴)さん・・・。メモリーがいっぱいある。今日はうれしかったけど、(日本を離れるのが)悲しい。私はメキシコ人だけど、心は半分日本人。私のセカンドハウス。WNC、W−1のファンの皆さん、本当にありがとうございます。将来、また日本に来れたら、どこの団体でもいいから上がりたい。ドラゴンゲートとか、ノアとかチャンスがあればいい。5年前、ノアに行って、リッキー・マルビンと組んで、タッグトーナメントに出た。15年に後楽園でミノルさんと、W−1クルーザーディビジョンチャンピオンシップとやって負けたけど、レジェンドと闘えてうれしかった。WNCでの日本デビュー戦は、ドイさんと組んで、イケメンさん、コダマさんと試合した。私はメキシコで15歳でデビューして、メキシコのスタイルでやってきたけど、日本のスタイルは違う。W−1に行って、ヤマトさんにシュートスタイルやフィジカルトレーニングを習った。厳しかったけど、勉強になった。先輩であり先生。4月15日にメキシコに帰りますけど、いっぱいメモリーができた。ファン、スポンサー、レスラー、スタッフ、みんなに『ありがとう』と言いたい。シノセさんとは、奥さん、娘さん含めてファミリーでサポートしてくれて、とてもありがとうございました」と感謝の言葉を述べた。

 篠瀬代表は「いろいろあったけど、選手、関係者、2AWの十枝会長、アイスリボンさんのご厚意でパンテーラの壮行試合ができた。皆さんのおかげです。パンテーラも熱い気持ちで、いい思い出をつくって、帰ることができると思う。また日本に来ることがあって、タイミングが合えば、飛鳥に出てほしい。(採算は)真っ赤ですけど、YouTubeとかで見てもらって、飛鳥を知ってもらうきっかけになれば」とコメント。

 飛鳥プロの次回興行は7月22日、新宿FACEの予定だが、篠瀬代表は「7月に興行をできるような状況になっているかどうかわかりませんが、やれる状況であれば、ファンの皆さんが見たい飛鳥ならではのカードを実現できるようにしたい」と締めくくった。