8月15日、全日本プロレス『2020 SUMMER ACTION SERIES2〜青木篤志メモリアル AA forever〜』 が後楽園ホールで開催される。

大日本プロレスの岡林裕二、#STRONGHEARTSの入江茂弘、元ウェルター級キング・オブ・パンクラシストの和田拓也など、青木さんと親交の深かった他団体選手らも多数参戦し追悼ムード溢れた大会となりそうなのだが…この大会には、強烈な緊張感を醸し出す『プロレスラー喧嘩最強王決定戦』ともいえる、ある一戦がマッチアップされている。

王者・木高イサミ&宮本裕向組にゼウス&イザナギ組が挑戦するアジアタッグ選手権がそれだ。

ともに1982年生まれで同年齢。宮本裕向は広島の元暴走族特攻隊長。対しゼウスは関西地区でいまだに伝説的な喧嘩屋として知られる存在。かつて西日本で恐れられたそんな二人が、日本最古の歴史を誇るアジアタッグ選手権を懸け激突する一戦が今週末、東京の後楽園ホールで実現するのだ。二人の過去の対戦経験は

「一度だけあったような…なかったような…」(宮本)

「確かないです」(ゼウス)

と、実質初対決同様だ。

『プロレスラー喧嘩最強王決定戦』

このタイトルは果たして大げさなのか?まずはアジアタッグ王者である宮本の喧嘩回顧録からその実像を紐解いていきたい。

宮本が育ったのは広島の山奥の田舎町。冬になると雪に覆われるためスキーグローブを嵌め登校するのだが

「毎日それを付けて同級生と殴り合いばかりしてました。ほぼ負けなしでしたけど、自分よりデカい相手に2度だけ負けたことありまスね」

その後、隣町の大きな高校へ進学するも

「一年間で同級生の3分の1がやめていくヤンキーバカ高校だった」

それでもヤンキー仲間たちとの時間は楽しく、1年生の終わりには地元広島の暴走族に加わった。2年生になると異常なほどの喧嘩の強さを買われ、100人以上は在籍する暴走族チームの特攻隊長に抜擢される。そんなある日、暴走族同士の大規模な抗争のさい「強いモン出せ!」と、宮本は相手チームの猛者と一対一のタイマンを張ることになった。結果は

「路上で無理矢理パワーボムかけてやったんスよ」

相手は悶絶。この頃の宮本はすでにプロレスファンだったので、テレビで見た技を喧嘩に応用したのである。

そして、宮本最大の喧嘩経歴はヤンキー相手ではなく、機動隊が相手だったという。Wikipediaにも記載され当時マスコミにも大きく報じられた「1999年胡子講暴挙事件」がその舞台。宮本は暴走族50チームの先頭に立ち「120人以上いたはず」という機動隊に喧嘩を売った。さすがに「機動隊は強かったス」と捕らえられ、身元引受に来た母親の涙に暴走族引退を決意したのだが、戦いへの欲求は途絶えることなく紆余曲折を経てプロレス入り。

プロ入り後、2006年9月21日にはリアルジャパンプロレスでスーツとオープンフィンガーグローブを着用し路上の喧嘩さながらに戦う「第8回掣圏真陰流トーナメント」で全KO勝利を収め圧倒的強さを見せつけ優勝。

「相手は皆自分より大きかったんスけど誰もが格闘技の型にハマった戦い方をしてきたんスよ。自分は格闘技経験はないんで、相手は俺の型にハマってないスタイルがいやだったんじゃないスかね」

と涼しい顔だ。リアルジャパンでのこの試合のさい、宮本は相手に対しいわゆるマウントポジションを取ってのパンチ連打をふるっているが、実際の路上の喧嘩では

「素手でブッ叩くと相手は倒れてそれで終わり。マウントはこのときが初体験でした」

と語る。

ちなみにこのとき稼いだギャラは

「一興行でもらった最高額で、それ以上はいまだに稼いだことないス!」

と笑った。

そんな宮本に対しもう一人の雄、ゼウスの喧嘩経歴へと移ろう。

「バックボーンは喧嘩ですわ」

格闘技やスポーツ出身のレスラーは数多いが、ゼウスは自らのバックボーンを、あっけらかんとそう言い放つ。

生まれも育ちも「おそらく日本全国でいちばんガラの悪い」と自ら語る大阪の生野区。

「ヤクザ、不良、ヤンキー…喧嘩の強いヤツがいちばん偉い土地柄ですわ」

物心ついた頃から体を鍛え始め、わずか5歳にして「腕立てや腹筋を限界までする」子供だった。小学校時代から喧嘩に明け暮れた。すでに身体は大きく、学校では二番目に大きかった。中学入学後も喧嘩に明け暮れる傍ら、走り幅跳びの全校記録を打ち立て、二年生になると腕相撲と相撲の全校大会で優勝した。喧嘩だけでなく、アスリートとしても抜きん出た才能を有していたのだ。最も多い日は一日に三度の喧嘩。「パンチが当たればまず間違いなく相手は気絶した」という。

そんなゼウスの喧嘩経歴クライマックスは一人で20人を相手に戦ったことだ。対抗勢力に仲間が捕らえられたことを知ったゼウスは4人で敵陣へ乗り込んだ。待ち受けていたのは20人ものゴロツキたち。相手の一人が先制攻撃を仕掛けてきたので、殴り返したら気絶した。次に、相手方のボスが出てきた。数発のパンチをよけ右フックをかますとやはり気絶。動揺した相手方は全員でゼウスを取り囲み。さすがにこれには「ヤバいと思い、いったん逃げましたわ」喧嘩には駆け引きも必要だ。しかし「ヤンキーは相手を探す能力が凄いんです」バイクの追手がすぐにあらわれ「いま俺の仲間たちがお前のツレをしばいてるぞ!」と意気込む。踵を返し決戦場へ戻ったゼウスの目に飛び込んできたのは、相手方に服従し全員正座させられたツレたちの姿だった。その光景に、ゼウスはキレた。

「お前ら、こんな連中になに正座しとんねん!」

相手にとも味方にともわからぬ怒りが込み上げ暴れまくった。あまりの騒動に警察も出動し、サイレンを聞いたゼウスは近くの銭湯へ退避。

「血だらけの顔を銭湯で洗い流しましたわ!ワハハ!」

その数日後、あらためて相手方のボスにタイマンを挑むも

「せえへん、と受けてくれんかったですわ」

喧嘩後は毎回、両手がグローブのようにパンパンに腫れ上がったという。

ゴルフクラブを振り上げた相手にいきなり襲われたこともある。このときはフルスイングのゴルフクラブに仲間が顔面の半分をエグり取られ

「顔から噴き出した血で70cmくらいの血の水たまりが出来とったんですよ」

しかしゼウスは怯まず相手のゴルフクラブを取り上げ

「さすがにそれで殴りはしなかったんですけど、相手は逃げていきましたね」

そんなゼウスも生来のプロレス好きが嵩じ、24歳のときに当時大阪プロレス所属だったGammaの紹介でプロレス入りする。そして、ここでも人間離れした伝説を残している。入門初日の夜。新入りのゼウスを「どんなもんなのか?」と腕相撲で挑んできた合宿所住まいの先輩レスラーたち全員に勝ってしまったのだ。翌日は先輩たちがリング上でのスパーリングを要求。そしてゼウスは、ここでも挑んできた先輩全員を降してしまった。合宿所住まいのレスラーたちは大阪プロレスにおいて決してトップ戦線レベルでなかったとはいえ、ボディビルとベンチプレス大会ですでに大阪選手権を制覇していた喧嘩屋は、プロの世界でも充分に通用する規格外の怪物だったのだ。

宮本裕向とゼウス、二人の元喧嘩屋が語る喧嘩必勝法は共通しており

「とにかく、先手必勝」

しかし現在はプロレスラーとして活躍し、一社会人としても日々を生きる両雄にもう一つ共通するのは、誰に対してもあまりに礼儀正しく、謙虚であり、腰が低いこと。両雄をよく知る者で、このことに異論を挟む者はまずいないであろう。

しかし、ファンは見たい。二人がかつての姿を剥き出しにし、いったいどちらが『プロレスラー喧嘩最強王』なのか?雌雄を決してくれるその瞬間を。生まれ持った本能を触発させる自分の合わせ鏡のような敵と相対したとき、本能を抑えることができるのか?

その答えは今週土曜日、全日本プロレス後楽園ホール大会で明らかとなる。

文・日々樹アキラ