【新宿発】オフィスでの取材が終わった後、広いスペースに移動してVR/MRの世界を体験させてもらった。やはり、話を聞くのと体感するのとでは理解度は格段に異なる。MRはリアルとバーチャルの両方が見えるといわれてもあまりピンとこないが、実際に大きなゴーグルのような機材を通して見ると一瞬で得心できる。まさに時空を超越するかの如き技術なのだ。ビジネスや教育の現場での活用が待たれるが、コロナ禍の影響もあり、意外と早い時期に実現するのかもしれない。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●インターネットの出現により
自分独自の価値の重要性に気づく


 若い頃のお話を少しうかがいたいのですが、大学でバイオテクノロジーを専攻された理由は?
 80年代にはバイオはいまほどメジャーな分野ではなく、学科自体も少なかったのですが、高校時代にテレビのNHKの番組でその研究の様子が取り上げられているのを見て、かっこいいなと。だから、実はミーハーな理由で学科を選んだんです。
 でも、バイオと最初に就職されたSIerの世界とでは少し距離がありますね。
 大学に入る頃は「これからはバイオが来る!」と思っていたのですが、卒業する頃には「これからはコンピューターだ!」と(笑)。
 私は1986年の入学ですが、新入生全員がポケコンを買わされてフォートランを学んだ世代で、身の回りのみんながコンピューターを使っていることに衝撃を受けました。そこで、一気にピボットしてコンピューター業界に進んだというわけです。
 渡邊さんは、新しいトレンドを追うのが好きなんでしょうか。
 やはり、基本的にはミーハーなんですね。新しいことを知らないということがイヤなんです。
 なるほど。それが変化を好む気質につながっているんだ。
 私は大学卒業後、電通国際情報サービス(ISID)に入社し、金融機関担当の営業マンとして活動していたのですが、インターネットの普及には大きな衝撃を受けました。
 それまでは人の知らないことをいち早く知り、その情報を顧客に提供することで、「よく知っているね」と感心されるところから私は営業活動を始めていました。ISIDはGEとの合弁企業であるため海外の最新情報が入りやすく、その内容を知ったかぶりをして話していたわけですが、ネットを通じてリリースなどが配信されるようになると、顧客も同時に最新情報が得られるようになってしまったわけです。
 渡邊さんに聞かなくても、情報は入ってくると……。
 このとき感じたのは、テクノロジーの優位性は一瞬にしてなくなることがある、ということです。だから、テクノロジーだけで成功している企業は、他社に何か新しい発明をされたら、その価値がゼロになってしまう可能性があるわけです。
 当時、それまでの、いち早く最新情報を届けるという価値を、自分にしかできない価値に変換しなければダメだと思いました。そこで、夜中に得た情報を朝までに翻訳して、クライアント企業向けに提案コメントを付加したものを届けるということを毎日していましたね。大変なことをこまめにすることが価値になる。この頃に自分の仕事のスタイルが確立したのだと思います。

●STYLYのユーザー2万人が
事業推進の大きな強みに


 2014年にISIDを退職された後は、ベンチャー企業の立ち上げに参画されますね。
 日本みらい研の「政策リサーチ」というサービスの立ち上げに1年ほど携わりました。政府や省庁の会議資料を提供するサービスです。それまではそうした資料が必要な人が個別に政治家などから入手していたものを、一括して開示請求し、それをPDF化しOCR処理することで、それまでできなかった検索をできるようにしたのです。このとき「今ない未来は自分でつくれる」と思いました。テクノロジーを使って新たな価値を生み出すことは、いくらAIが発達したとしても人間にしかできないからです。
 なるほど。あくまで人が新しい価値を創造するということですね。ところで、現在はこのPsychic VR LabでVRの開発をするかたわら、事業構想大学院大学で教鞭をとられていますが、教える立場ではどんなことを感じておられますか。
 MBA(経営学修士)の課程はいわゆる経営管理手法の習得を目的としており、既存の組織でいかにうまくPDCAを回していくかというところに力点が置かれていますが、いまはむしろその前段階の事業構想の力が求められていると思います。事業構想大学院大学には企業派遣で来ている方がほとんどおらず、受講者は2年で320万円の学費を自腹で支払っています。それだけに真剣で、突っ込みも厳しい(笑)。常に彼らの一歩先を考えないとリスペクトしてもらえないため、毎回が戦いだと思っています。お互いの構想力を高めあう場として、私にとっても貴重な機会になっていますね。
 VRの開発では、いまどんなことを進めておられるのですか。
 VRは“デジタルツイン”ともいわれ、大阪万博2025を控え、ディベロッパーや建設会社が力を入れ始めています。いま私たちはこれをつくるために渋谷の街をセンシングしまくっているんです。建物の中や公園などの画像をクラウド上に持っていき、そこでシミュレーションできるようにし、それをARグラスを通じて見るわけです。
 このハードウェアは、いくらくらいするのですか。
 このVRのセットは4年前には60万円したのですが、いまは3万円ほどになっています。
 それはずいぶん普及のハードルが下がりましたね。
 そうですね。私たちはソフトウェアをつくっているわけですが、STYLY(スタイリー)というVR/MR空間を制作・配信するためのプラットフォームをクラウド上につくりました。誰でも無料で利用でき、スペックの低いパソコンでもWindows7のような古いOSでも動きます。
 ますます裾野が広がっていきそうですね。でも、競合が出てきたりしないのですか。
 おっしゃるように、最近は同じようなサービスを提供するところが出てきました。でも、STYLYのユーザー(アーティスト)は、世界中に2万人以上います。
 つまり、ユーチューバーが無料で自由に動画をアップするように、私たちのサービスを使ってオリジナルのVR/MR空間をつくって配信している人たちが2万人もいるということですから、そのコミュニティの力が大きな強みになっているわけです。このコミュニティの存在こそが、テクノロジーが大きな価値に変換されたものであるといえるでしょう。
 未来につなげていくためには、新しい技術を追求するだけでなく、新しい価値を創造することが必要だということですね。この事業がどのように発展していくのか、とても楽しみにしています。

●こぼれ話


 渡邊信彦さんは素敵な変化を遂げられていた。細身のあごに黒縁のメガネは、写真で見慣れたものだった。ところが、初対面の今回、そのまなざしに“おやっ!?”と思った。渡邊さんのそれが奥深いのだ。変だなぁ〜。ほぼ隔月でお目にかかっている、あのキリリとした“立て板に水”を醸し出すはずのまなざしがどうしたのだろうか。
 インタビューは未来予測から始めた。それには理由がある。コロナ禍の真っ只中にあって、視点の筆者(8名の方)は原稿の執筆にひと苦労ふた苦労されていると推察する。何しろ不確定要素だらけの、人類が初めて経験する局面だからだ。コロナ禍でのウイルスの盛衰を表とすると、デジタル化生態の根づきが裏番組といった様相だ。とくに日本のデジタル化は隣国に遅れること15年と読む。渡邊さんの視点の記事に引き込まれた。デジタル・パーソンの生態が的確に書き込まれている。そうだ、そうだ、そうだよね。と読み進めるうちに、直にお会いして話を聞いてみたいと思った。
 今の私は『千人回峰』のコラムが担当だ。さっそくインタビュー依頼の連絡をとり、快諾をいただいた。ただし、「このコラムは昔話が多い。私は未来について語りたい」という条件付きだった。渡邊さんには明日の時代について聞こうと思っていたので、願ったり叶ったりである。「視点」の記事を読む中で思考体系の面で渡邊さん像は出来上がっている。私は対面で発されるオーラに人となりを感じるタイプなので、取材の当日を楽しみにしていた。ここから冒頭の原稿に続く。安定した会社から独立をして自分の道を歩き始めたこと。大学で人を教え始めたこと。未来予測するVR事業を継続し続けたこと。見えている明日が3年早まって到来を確信したこと。こうした確信は生き方の境地を手繰り寄せたようだ。
(ツーショット写真ではVRを装着しました)

心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。