ネットオークションサイト「ヤフオク!」に「歴史資料博物館に展示されていました」という触れ込みの埴輪が出品され、3月25日夜に8万4000円で落札された。

出品された埴輪は、「靫」(ゆぎ)という古墳時代の矢を入れるための武具をかたどった珍しいもの。写真を見ると、確かに博物館らしき場所に、他の埴輪と一緒に展示されている様子が写っている。

出品物の説明には、この埴輪は「知り合いのお爺さんが酒友の小高い山から円筒埴輪と共に出土」、「2017年まで長い間、歴史資料博物館に展示、陳列されていましたが貸し出し満了となり返却がありました」とあり、考古学関係者の間で話題となった。通常、博物館の展示品がネットオークションに出ることは、あまり例がないからだ。

一体なぜ、博物館の展示物がヤフオク!に出品されていたのだろうか?(弁護士ドットコムニュース・猪谷千香)

●埴輪の出土した場所を探す

それを調べるには、まず展示されていた博物館を特定しなければならない。

ヒントは、一緒にヤフオク!にアップされていた写真にあった。その1つに展示パネルの写真があり、「市内鐙塚町北方の現在工業団地になっている場所にあった古墳から出土しました」と書かれていた。

「鐙塚町」で検索すると、栃木県佐野市に「鐙塚町」(あぶづか)がヒットした。グーグルマップで探すと工業団地も存在するようだった。

また、佐野市のホームページによると、「鐙塚町」の地名にはこんな由来があるらしい。

1、永禄2年方量のとき鐙塚村と称すなり。 2、伝承によると、建武2年(1335年)に亡くなった尊雲法親王の首を埋めて塚としたのを、村民が尊んで阿武塚と呼んだのに由来するといわれています。 3、アブは、アバの転で動詞アバク(褫く)の語幹であり、崩壊するという意です。ヅカはツカで小高い丘、台地を意味します。鐙塚は三杉川の氾濫によって浸食を受けた崩壊地に由来する地名ではないかという説があります。

古墳には墓や小高い丘を意味する「塚」という地名が用いられることが多い(たとえば、「大塚」「丸山塚」「八幡塚」などの地名がついた古墳は全国にある)。地名から考えても、佐野市鐙塚町から出土した埴輪の可能性が高いのではないだろうか。

●博物館が黙って見ていた事情とは?

そこで、佐野市郷土博物館に電話して、ヤフオク!に博物館に展示されていたと思われる埴輪が出品されていることを把握しているか尋ねると、博物館の担当者は「知っていました」と答えた。

やはり、博物館の展示品だったというのは事実だったようだ。ではなぜ展示品がヤフオク!に?

実は、この埴輪は2017年に開催された企画展「佐野の古墳と埴輪」で展示されたものだが、博物館の所有物ではなく、市内の個人から展示のために一時的に借り受けたものだったという。

「展示された埴輪であることは知っていますが、重要文化財に指定されているものでもなく、管理しているものでもないので、博物館としては何もできません」と説明する。博物館としても、黙って見ているしかないのだ。

●もしも埴輪を拾っても、発見者のものにはならない理由

しかし、ここで1つ疑問が浮かぶ。法律上、こうした文化財のことを「埋蔵文化財」と呼び、その取り扱いにはさまざまな規定がある。もしも工事などで、埋蔵文化財が発見された場合、遺失物法第4条1項に基づき、拾得物(落し物)として扱われ、勝手に持ち帰ってはいけないこととなっている。

発見された土器や石器などの埋蔵文化財は、警察署に届出が必要で、届出を受理した警察は、文化財保護法により、埋蔵文化財を自治体の教育委員会に提出(101条)、提出された都道府県や政令指定都市の教育委員会は、文化財であるかどうかの監査が義務づけられている(102条)。

肝心なのはその後。埋蔵文化財として認められると、埋蔵文化財は通常の拾得物と同じように警察による公告が行われ、6カ月以内に所有者が発見されない場合(たとえば埴輪は、古墳時代人のものなので、所有者が名乗り出ることはまずない)は、遺失物法第37条により、原則として都道府県の帰属となる。

つまり、埴輪を発見したからといって、そのまま発見者のものになるわけではないのだ。しかし、こうした埋蔵文化財に対する理解が深まってきたのは近年だ。ヤフオク!の説明には出土したのは「1963年頃」とあり、発見者がそのまま所有してしまったものと考えられる。

ある博物館の学芸員(考古学)はこのヤフオク!の出品を見て、「埋蔵文化財の大切さをもっと一般に広めないだめですね…」とため息をついていた。