4億円の赤字でも社長報酬14億円のあの“お騒がせ企業”、ついに身売りで他社の完全子会社に

4億円の赤字でも社長報酬14億円のあの“お騒がせ企業”、ついに身売りで他社の完全子会社に

 ミネベアミツミが売上高1兆円企業の仲間入りを果たす。

 精密部品メーカーのミネベアミツミは、同じ東証1部上場の自動車ドア関連部品メーカーのユーシンを買収する。2019年1月下旬からユーシン株に対して1株あたり985円でTOB(株式公開買い付け)を実施して完全子会社にする。買収総額は326億円を見込む。

 ミネベアミツミの19年3月期の売上高は9400億円、ユーシンの18年12月期の売上高は1510億円の見通し。単純合計すると、連結売上高が1兆910億円の企業となる。

 ミネベアミツミの貝沼由久会長兼社長は積極的なM&A(合併・買収)で、同社をベアリングから電子部品まで扱う総合部品メーカーに育てた。自動車部品は電動化を背景に再編の最中にある。

 ミネベアミツミは自動車向けにボールベアリング(軸受け)や液晶バックライト、モーターなどを生産。ユーシンは電子錠やドアハンドルなどを国内外の自動車メーカーに供給している。完成車メーカーと直接取引するユーシンの販売網を取り込み、成長市場と位置づける自動車分野を強化する。

●「買収王」義父譲りの貝沼社長のM&A攻勢

 貝沼氏は旧ミネベアの中興の祖といわれた元社長、故高橋髙見氏の娘婿である。従業員10数人の日本ミネチュアベアリング(のちのミネベア)に入社した高橋氏は、1970年代から国内外でM&Aを重ね「買収王」の異名をとった。

 85年から88年にかけての、ミネベアによる世界的なオルゴールメーカー、三協精機製作所(現日本電産サンキョー)の乗っ取りは、M&A攻防戦の歴史に名をとどめる。だが、高橋氏の最後の乗っ取りは失敗に終わり、有終の美を飾れなかった。

 貝沼氏は慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。ハーバード大学ロースクール出身で国際弁護士の資格を持つ。米国で弁護士をしていたが、義父の招きで88年にミネベアに入社した。胃がんに侵された高橋氏が三協精機の乗っ取りを断念した年だ。高橋氏は翌89年に亡くなった。娘婿の貝沼氏に事業の後継を託したのだ。

 貝沼氏は松下電器産業(現パナソニック)との小型モーターの合弁会社の経営で事業家としての経験を積み、2009年、ミネベア社長に就任。貝沼氏は義父譲りの買収による多角化とグローバル化を両輪に、攻めの経営を進めた。

 貝沼氏の大型買収がミツミ電機との経営統合である。ミツミ電機はスマートフォンメーカー向けのカメラの手ぶれ補正器などの電子部品の販売が落ち込み、16年3月期の連結最終損益は98億円の赤字(その前の期は38億円の黒字)に転落した。

 ミネベアがミツミ株1株に対してミネベア株0.59株を割り当てて経営統合。17年1月、統合会社ミネベアミツミが発足した。モーターなど機械部品と電子・通信部品を幅広く持つ世界でも珍しい事業体となった。これはミネベアの歴史のなかでも最大級のM&Aとなった。

 貝沼氏は中長期計画で20年3月期に売上高1兆円、21年3月期に営業利益1000億円の目標を掲げた。19年3月期の売り上げは9400億円、営業利益は850億円の見込み。目標達成にあと一歩だ。

「海外生産の立て直しに力を貸してほしい」

 ユーシンは18年8月、ミネベアミツミに支援を要請した。ミネベアミツミにとってユーシンの打診は「渡りに船」だった。主力のスマホ向けバックライトの需要縮小が予測されていたからだ。ユーシンを買収すれば、売上高1兆円企業となる目標を達成できる。

●ユーシンの帝王・田邊耕二氏の失脚

 ユーシンはなぜ、ミネベアミツミに“身売り”を申し入れたのか。創業家と完全に訣別することにしたのだ。

 ユーシンは17年1月10日、会長兼社長の田邊耕二氏が「一身上の都合」により辞任。新社長には生え抜きの岡部哉慧(かなえ)専務が昇格した。

 ユーシンの“帝王”と呼ばれた田邊氏は、創業家の2代目として1978年に社長に就任以来、40年近くにわたって最高実力者として君臨してきた。社長公募や10億円以上の高額報酬など、何かと話題を集める“お騒がせ”経営者だった。

 田邊氏の後継者探しは波乱ずくめだった。06年、元日産自動車常務で自動車部品会社ナイルス(現ヴァレオジャパン)の社長だった竹辺圭祐氏を社長に招き、自身は最高顧問に退いた。しかし、竹辺氏と生え抜きの役員たちとの対立が深刻化し解任。田邊氏は2年で社長に復帰した。

 10年には社長公募という奇策に打って出た。元外務省キャリア官僚の八重樫永規氏を選出、社長代行に据えた。だが、「商売には向いていない」として、あっさりクビにした。14年にも2度目の社長公募に乗り出したが、「いい人材がいない」と書類選考の段階で打ち切った。「2回目の公募は社長に執着していないことを見せるためのパフォーマンス。辞める気はさらさらない」と社内外から見透かされる始末だった。

 後継者問題と並んで話題となったのが田邊氏の高額報酬。ユーシンの2014年11月期の最終損益は4億3300万円の赤字。にもかかわらず同期の田邊氏の役員報酬は14億500万円。13年11月期(8億3400万円)の1.7倍となった。

 会社は赤字、田邊氏は高額役員報酬。株主から「会社の私物化」と批判を浴びた。個人投資家の山口三尊氏は16年夏、田邊会長兼社長ら取締役や元取締役など7人を相手取り、5億7000万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

 田邊氏にトドメを刺したのは業績の悪化だった。2016年11月期の最終連結損益は96億円の赤字(その前の期は2億円の黒字)に再び転落。業績予想の下方修正は3度目にわたり、年間配当は97年の東証1部上場以来、初めてゼロとなった。

 業績悪化の原因は、13年にフランス自動車部品大手Valeo(ヴァレオ)社から鍵(キー)やドアハンドル部門を約200億円で買収したこと。「小が大を呑み込む買収」と話題になった。だが、業績には寄与せず失敗に終わった。

 株主総会で経営責任を追及されることは必至の情勢だった。そこで総会を前に「一身上の都合」で退任した。次女の田邊世都子氏をトップに据え、院政を敷くというのがもっぱらの見方だったが、次女も同時に退任した。

 新経営陣は約40年君臨した帝王の影におびえず改革を推し進めることができるかが大きな課題となった。その経営陣が出した答えが、ユーシンをミネベアミツミに“身売り”して、創業家と訣別することだった。
(文=編集部)


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