東京・吉祥寺に「夏葉社(なつはしゃ)」という小さな出版社がある。編集経験ゼロで出版社を設立し、編集、営業、事務などをたった1人でしているのが著者だ。自らの歩みを振り返りながら、「仕事とは何か」をつづった。

 創業して10年。庄野潤三の小説選集など復刊を含めて35点の本を出してきた。「何十年先も残るもの」を意識し、装丁の美しさも大切にしてきた。キャッチーな言葉を並べ、発売から数カ月を勝負とする本とは一線を画する。理想形は『アンネの日記』だという。「屋根裏部屋で書いた彼女のような小さな声を拾い、時代を超えて届けられることが、本の元来の役割だと思う」

 一人の誰かに手紙を書くように本をつくる。知り合いの書店員、読者の顔や趣味嗜好(しこう)を想像する。基本的に初版は2500部と多くなく、巨利は生めない。子育てもあり1日約5時間労働。それでも、家族4人で暮らせている。「経営のノウハウはない」とも言う。なぜこのような働き方で生活できるのかは、本書に譲り、ここではその志を紹介する。

 作家志望で、27歳までフリーターだった。いくつかの会社に勤めたが続かず、転職活動は50社連続で不採用。31歳の時、親友だった1歳上のいとこが急死した。失意の中で出会ったのが、英国の神学者の詩だ。死の別れがあってもこれまでの関係はなくならない、と勇気づける一編の詩を本にして、叔父と叔母に贈ろうと夏葉社を創業した。『さよならのあとで』と題して刊行した。

 約2年前、この本を「200冊下さい」とメールがきた。送り主は、中学1年だった娘を授業中に亡くした母親。亡くなった娘を思い続けてくれた同級生たちに、卒業式の日に本を贈りたいからだという。「本が何万部売れたことよりも、こうした思い出が僕の生きがいなんです」(文・宮田裕介、写真・家老芳美)=朝日新聞2020年1月11日掲載