分かれ道 ユダヤ性とシオニズム批判 [著]ジュディス・バトラー

 世界各地に離散し差別され続けたユダヤ人は、学問と金融という対照的な二つの領域に活路を見いだした。とりわけ前者で彼らが大きな足跡を残せたのは、そこに「翻訳」可能な論理があったからである。非西洋・後発国として、国づくりを急いだ近代日本人が依拠した〝種本〟に、ユダヤ人の著作が多かったのは偶然ではない。しかし、同時代のユダヤ人著作者アーロン・マルクスは、ユダヤ人には自らの精神的伝統との関連を「部外者にはわからなくする固有の技術」があった、と指摘している。彼らなしには成り立たない現代文明には、翻訳困難なユダヤ性が抜き難く伴っている。我々にはそれがわからないだけなのである。
 しかも、反ユダヤ主義の高まりのなかで1897年の第1回シオニスト会議に参加した、マルクス自身がそうだったように、ユダヤ性のなかに本来的にシオニズムが埋め込まれているのだとしたら、事柄は一層深刻である。離散するユダヤ人たちは、ナチスによるユダヤ人虐殺の体験を乗り越え、イスラエルを建国したが、それはパレスチナ住民の虐殺・離散と引き換えだった。ナクバと呼ばれるその悲劇は既に70年も継続し、欧風の立憲主義国家イスラエルが、同時に中東地域の火種であり続けてきた。トランプ政権の親イスラエル性も、対イランの強硬姿勢に連動している。この問題を解決しない限り人類に明日はないだろう。
 活路は果たして存在するのか。これを正面から問うたのが、ジュディス・バトラーの『分かれ道』である。社会の性差別構造を告発してきたこの高名なフェミニストは、同時に自らのユダヤ性と闘ってきた人だ。ユダヤの信仰と文化のなかで育ち、ナクバの加担者側に立つ自身を直視する彼女は、サイードやダルウィーシュといったパレスチナの目線を共有しながら、自らに知的養分を与えてくれたユダヤの知的巨人たちと格闘する。ベンヤミン、アーレント、レヴィナス、そしてプリーモ・レーヴィ。彼らとの対決は自己切開の痛みを伴う。それが本書に独特の凄みを与えている。
 リベラル派=社会契約説の想定とは異なり、ユダヤ人にとっては、他者との「望んではいない近接性」と「選んだわけではない共生」が、存在の前提条件である。バトラーは、そうしたユダヤ性を反転させ、「翻訳不可能なもの」に左右されず「同化吸収」を前提としない、「他者」との応答性を基盤とする「倫理的関係性」を追求する。「国民国家」や「等質的国民」を解体しつつ、「植民地主義的征圧」を清算せぬままの「二国民主義」をも批判する。日本とその周囲世界にとっても示唆的な本だ。
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 Judith Butler 1956年生まれ。カリフォルニア大バークリー校教授(修辞学、比較文学)。著書に『ジェンダー・トラブル フェミニズムとアイデンティティの攪乱』『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』など。