小説は担当したことがない。ノンフィクションと呼ばれる分野で20年以上仕事をしてきたのだが、最初の出会いと言える本が『サンダカン八番娼館』だった。

 高校1年の夏休み。音楽が得意な先輩に「作曲」の宿題をしてもらう代わりに先輩の宿題である「読書感想文」を書くことになった。その課題図書だったのだ。

 大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、熊井啓監督で映画化もされたロングセラー。そんなことさえ知らず、さほど分厚くない文庫本を手に取った。

 その内容は、小生意気な女子高生を圧倒した。

 芋すら口に入らない貧しい家に生まれ、9歳で「からゆきさん」として南洋に渡ったおサキさん。70代になった彼女は天草の集落のはずれにあるあばら屋に一人で暮らす。腐った畳には百足(むかで)が這(は)いまわり、トイレも風呂もない。そこに自らの素性を明かすことなく起居を共にし、昔の話を聞き出す著者。その取材ぶりも凄(すさ)まじい。まさに「底辺女性史」だ。やりきれない歴史の一面が明かされる。しかし、国や軍によってつむがれる大文字の歴史ではない史実は、ひそやかな声を記録しておかなければ、完全に忘れ去られてしまったはずだ。

 それから十数年後、出版社に入り、まさか山崎朋子さんの担当になるとは。2008年、この本の文庫新装版を手がけた。カバーに選んだのはパラソルを手に盛装した3人の少女たち。13歳で客をとらされる前日の写真である。初めて読んだ時の私より、彼女たちは幼かったのだ。=朝日新聞2020年3月18日掲載