わたしの芭蕉 [著]加賀乙彦

 松尾芭蕉の本は山ほどある。芭蕉がこんなにも愛されるのは、しがらみや我欲を捨てて、野心とも無縁、ひょうひょうと旅に出て自然を愛でる――その生き方が、余分なものを削ぎ落としてこそ成り立つ俳句と相まって清廉を貴ぶ人々の心をゆさぶるからだろう。
 著者も芭蕉に親しみ、その世界に遊ぶ楽しみ喜びを軽やかに書き留めている。肩肘を張った研究書でも、独断的な謎解きでもなく、芭蕉によりそって野辺の道を歩くような――本書にはそんなおおらかさがある。ページをめくるうちに、著者と芭蕉が重なってくる。
 著者は「芭蕉の俳句と俳文は美しい日本語の世界」だという。それを紹介しようとつづられる著者の随筆そのものがまた、美しい日本語である。
 たとえば、「古池や蛙飛(かはづとび)こむ水のおと」につづいて、「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは)」の名句をあげて――。「この一句、視線が足元から水平線、島、天と上に昇るにつれて、美しく平和になっていく。なんと不思議なことだろう」と書いたあと、「若かった時」友人と海水浴に行ってカシオペア座を眺めた思い出を語り、「この俳句は私には永遠の星空を、古池よりも、永遠の時間をもって見渡せたことになる」と結ぶ。
 あるいは「此(この)道や行人(ゆくひと)なしに秋の暮」という句については――。「芭蕉ひとりがとぼとぼ歩いている。この孤独感がひしと迫る表現として、俳句に凝縮している」とした上で、自分も夕暮れ時にひとり田んぼの細道を歩いているとき、この句を思い出すと語る。そして「自分の信仰を芭蕉に言い当てられたような思いにふけるのだ」と。
 三日月の句に、太平洋戦争中の陸軍幼年学校の生徒だった時、芭蕉が句を詠んだ寺の近くにいたことを思い出したり、ときには荘子や能の世界にも思いを馳せたり。読み返すたびに深みを増してゆく本書は、かろみの後ろにある芭蕉の心をやさしく教えてくれる。
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 かが・おとひこ 1929年生まれ。作家、精神科医。著書に『帰らざる夏』『湿原』『永遠の都』『雲の都』など。