私は沖縄で生まれたが、実はそれほど長くそこにいたわけではない。沖縄出身だった母が、実家に帰って出産したという形だったので、私は生後数ヶ月で東京へと行き、主に池袋で育った。しかし、沖縄の記憶がないかというと、そういうわけではない。小学生までは夏休みなどの長期の休みの際に、祖父母がいる沖縄で過ごしていたからだ。つまり、一年のうち二ヶ月ほどは沖縄で暮らしていたことになる。

 子供ながらに時間がゆったりと流れているような沖縄の雰囲気が好きだった。那覇市にある父方の祖父母の家の縁側に座っては、庭に生えている東京では見ない植物をよく眺めていた。そうやってくつろいでいる私に、祖母はサーターアンダギーやムーチーなど、沖縄のお菓子をふるまってくれた。それらの独特で癖になる甘みと、縁側で焚かれていた蚊取り線香の匂いは、いまも昨日のことのように思い出すことができる。

 私が物心ついたころには、母方の祖父母は宮古島に住んでいた。なので、沖縄生活の思い出の半分はそこでのものだ。幼かった私は、東京にはない宮古島の自然を思い切り堪能して過ごした。

 家の裏手に延々と広がるサトウキビ畑で昆虫採集をし、コバルトブルーに輝く海で海水浴を楽しんだ。夜になると、祖父が港へと釣りに連れていってくれ、釣り糸を垂らしながら真っ暗な海から聞こえてくる波音を聞いていた。釣り上げた魚は、翌日に祖母が調理をして食卓に出してくれた。

 もう三十年以上も前の記憶だが、瞼を閉じるとそれらの懐かしい思い出が鮮やかに浮かび上がってくる。

 四十歳を超えたいまでも、年に一、二回は沖縄を訪れるようにしている。残念ながら祖父は二人とも亡くなってしまったが、祖母は健在なので少しでも孝行をと思い、家族とともに顔を見せに行くのだ。そんなとき、沖縄の柔らかい空気はいつも私を歓迎してくれているような気がして、せわしない日々で毛羽立った神経が癒されていく。

 今年も出来ることならまた沖縄に行って、祖母に会いたいと思っているのだが、残念ながら昨今の新型コロナウイルスの流行拡大のせいで、具体的な予定を立てられずにいる。

 私は現役の医師でもあるので、これまで体験したことのない異常な事態に、神経を擦り減らしながら診療に当たっている。一日も早くこの恐ろしい感染症の流行がおさまり、また心置きなく沖縄にいる祖母に会えるようになることを心から祈らずにはいられない。そのときはきっと、かすかに潮の香りを孕んだ沖縄の空気がまた、優しく私を包んでくれるはずだ。