お話を聞いた⼈小野美由紀(おの・みゆき)作家・ライター

1985年生まれ。慶応義塾大学文学部卒。恋愛や対人関係、家族をテーマに執筆。主な著作には小説『メゾン刻の湯』(ポプラ社)、エッセイ集『傷口から人生。〜メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(幻冬舎)、絵本『ひかりのりゅう』(絵本塾出版)など。

ルービックキューブの全面を揃えるような「無理ゲー感」

――本書は、雑誌やWebで先行公開していた「ピュア」を始めとしたSF短編集です。表題作では「未来、女性が怪物のように強靭な肉体と絶大な社会的権力を手に入れたものの、ひ弱な男性を性交時に文字通り『喰わない』と妊娠できない」というハードなディストピアを描いています。もともと現実的なエッセイや小説を手掛けてきた小野さんですが、なぜ本作を書いたのですか?

 2015年、エッセイを出した際に当時の担当編集者から「小説を書いてみないか」と言われたのがきっかけです。ただその書き方が分からず、カルチャーセンターに通って学びました。最後に課題で作品を1本書かなくてはいけなくなり、出したのが「ピュア」です。

 その後、いくつかの出版社に持ち込みましたがあまりいい評価はもらえず、執念深く発表の場が来るのを待っていました。たまたま今の早川書房の編集者・溝口力丸さんをTwitterで見かけ、当時同社で〈百合SF〉がバズっていたことから、「これも百合SFです」と作品を送りました。そうして19年に同社の「SFマガジン」に掲載されることになりました。

――確かに本書には、SF世界の中で女性同士の愛憎入り混じる複雑な関係性を描いた、百合SFと言えそうな短編が並びます。「人間から不定形の奇妙な生物に変化して月に行ってしまった女友達と、地球で再会することになった女性」を描いた「To the Moon」などですね。ただ、表題作の「ピュア」でまず衝撃を受けたのは、現実世界の男女の間にある暴力性や権力の所在が、完全に逆転している世界観です。人類が生存戦略のため自らに遺伝子改造を施した結果、主人公をはじめ女性たちは恐竜のように強靭な腕力と鱗、爪を備えた怪物と化して社会を支配することに。逆に男性は肉体的にも政治的にも圧倒的な弱者に堕ち、女性が妊娠するために性交時には必ず食われてしまう。なぜこんな異様な設定にしたのですか?

 何となく、「人間がカマキリみたいな生殖形態だったらどうなるかな」と考えていました。そうすると、女が軍事など権力も握るだろうと。ただそうなっても、この世界でも「生む機能」は女性から失われないまま、彼女たちはいろんな(社会的)役割を負うことになる。重責ですよね。それは今の社会と変わらないじゃん、と。

 現代の女性は、ルービックキューブの全面を揃えるような重圧を抱えて日々暮らしています。仕事をこなし、美しく魅力的でなくてはならず、子どもを育て良き妻でなくてもいけない。自己実現も、親の介護だってしなきゃいけない。“無理ゲーじゃん”という現実を生きている。どれか1つでも欠けると、「子どもを生めてない」「独身だからかわいそう」などと言われる。

 この現実を戯画にしたらSFとなったのです。この「無理ゲー感」の中でどうサバイブするか。その中で、社会から押し付けられたものでなく、自分の生き方を選択できるか。そうしたら、こんな主人公になりました。強い女性を描きたかったのです。

男性も女性も生きづらいコミュニケーション不全状況

――確かに、本作で女性たちは男を比喩でなく狩っては犯し捕食しているわけで、これ以上ないほど強いですね。グロテスクなくらいですが……。

 いわば、“処女でないナウシカ”を書きたかったのです。私は、例えば宮崎駿監督の描くような女性像があまり好きではありません。ちょっと嘘くさい。もし彼女たちが処女でなかったら、あんな風にはならずもっと利己的だったでしょう。その中で自分の人生をたくましく生きていくはず。もっと女性はしたたかで図太いと私は思っているので、それを物語にしたかったのです。

――確かに、女性が強者として暴力や権力を振るう世界観は一見、現実の女性差別への風刺と読めなくもありません。一方で、「ピュア」の彼女たちも幸福かと言うとちょっと……。怪物と化し、愛すべき異性であっても喰い殺すことを強いられる人生は正直、不幸ではないでしょうか?

 はい、「ピュア」の彼女たちは権力を握り暴力で男を支配しています。でも、男女が逆転しただけで、全然幸せじゃないですよね。それは男女の間でコミュニケーションが無いからです。

――逆に本書では、男性側の不幸を書いた話もあります。本書の最後の短編は、「ピュア」で女主人公と惹かれ合った男性「エイジ」の過去がテーマ。読書を好む変わり者で、男だけのコミュニティの中でも疎外されているエイジと、別の男性との繊細なボーイズラブを描いていますね。百合SF集のラストがBL、というのも印象的です。

 この作品「エイジ」では、男性の生きづらさを描きました。コミュニケーションできず、誰からも愛される喜びを感じられない。つまりは、(本書を通じて)男性も女性も生きづらい状況を描いているのです。男性は自身の男性性を肯定できないし、女性側も自分自身を肯定できない。

――確かに、現実の男尊女卑な社会や家庭で「強くあることを強いられる」男特有の辛さが想起されますね。しかし一方で、例えばSNSなどのフェミニズム論争では、いまだに男女というものを単純に対立化させがちです。「男性の〇〇は暴力の象徴」「フェミ女はみんな××だ」などと、互いの「性」を安易に全否定する言説が後を絶ちません。

 別の性を叩きのめしたところで、(フェミニズムの問題は)解決しないと私は思います。他の性をこき下ろしたところで、自分自身の性は肯定できない。私は「ピュア」を“フェミニズム小説”だと思っていますが、女性も男性が(今持っている)権力を握った方がいい、と主張する訳ではありません。こうした「男性から権力や暴力性みたいなものを失わせて、女性が自分たちで権力を握れば幸せになれる」という考えも、他人から押し付けられたものだと思うのです。

 私の思うフェミニズムとは、「女性性を自他ともにまるっと肯定すること」です。女性が自身の欲望を我慢しない。社会的な抑圧とか、「〜するべき」とったものに縛られず、自分自身の欲望を否定しないことです。

 そしてそれは、女性だけでなく男性にとっても同じだと思うのです。だからこそ、本書の最後に“ボーナストラック”として「エイジ」を入れました。男性だって弱くあっていいし、子育てしたければすべきです。自分の感情を表現することで、それを肯定してもいい。例えば、(一般的に)男性の方が自身の「寂しさ」を肯定しづらいものだと思います。

SFは「世界に翻弄される人間」をどっしりと描ける

――フェミニズムSFと銘打ちつつも、描こうとしたのは男女共通の普遍的な「生きづらさ」なのですね。それにしても、なぜSFという手法を取ったのでしょうか?

 「SFを書いた」という気持ちはあまり無くて、「現実を高度に抽象化したらSFになった」くらいですね。世界設定をした上で思考実験するのが好きなんです。「もしこういう世界なら、いち女性として(主人公は)どんな動きをするのか」と考える。早川書房から本を出すので、(表題作以外の作品でも)「ハードSFを書かなくては」とすごく不安にはなりましたが……。

 結果、SFは懐の広いジャンルだなと思えました。「ifの世界だったらどうなる?」という形式さえあれば、何でも受け入れてくれる。私は『紙の動物園』(早川書房)のケン・リュウなど中華系作家のSFが好きですが、「これがSFなのか……」みたいな作品もありますよね。「世界に翻弄される人間の話」をどっしりと描ける、いいジャンルだなと。

 『ピュア』はいわば「子宮で脳を殴りつける」小説です。今まで私は現代ものを書いてきましたが、SFくらいの飛躍がある方が書きやすいと気づいた。ほんとにほんとに書きたかったものが書けた開放感がありました。

――最後に、新型コロナウイルスの拡大で命の危険がリアルに迫り、親しい人とも会えなくなったりしている、まるでSFのような危機が世界を覆っています。このタイミングで本作は読者にどのように届いてほしいですか?

 今の世の中は『ピュア』の世界観に近づいていると感じます。人と会うこと、セックスすること、つまりは濃厚接触することで、自分の“生殺与奪”が握られてしまうという。つまり「濃厚接触しても良い」相手としか私たちは会わなくなり、“ピュア”な人間関係しか残らなくなるのではないでしょうか。

 事実、コロナのせいで人間関係がリセットされていると、周囲の人たちとよく話します。人間関係が“断捨離”されたり、家でずっと一緒にいるのが嫌でパートナーと離婚したりするケースですね。世界がゆすぶられるようなことが起きたら、きっと人間関係も、人間自身もまた、“生まれ直す”ことになると思うのです。

 本書で書いたのも「新しい環境に揺さぶられながらも、生まれ直すために奮闘する」女性たちでした。(新型コロナ流行のような)社会の変化、新しいシステムに適応せざるを得ず、ゆすぶられている私たちと似たようなシチュエーションが描かれています。ぜひ今、読んで欲しいですね。