生まれて幼時を過ごしたのは、京都市内の吉田山に近い、父方の祖父母が米屋を営む家だった。日中、母は外での勤めに出ていた。だから、食べものをめぐる記憶は、祖母(母にとっては姑〈しゅうとめ〉)がちゃぶ台に供してくれる、庶民的な菓子やおかずに始まる。

 いまの季節なら、祖母は、ちまきをおやつに買ってくることが多かった。笹(ささ)の葉で細長くくるんだ団子をイグサで巻き締め、五本ほど束ねてある。指でイグサをほどき、笹の葉をはがすと、刃先みたいな形をした白い団子が現れる。噛(か)むと、ぷるぷるした感触に、笹の葉の清涼な匂いと控えめな甘みが溶けあい、心地よい。

 一方、東京育ちの母には、ちまきは馴染(なじ)みが薄かったようだ。この季節、餅菓子屋の店頭で彼女が足を止めて求めるのは、決まって柏餅(かしわもち)だった。

 母は、日ごろ、食べものの好き嫌いについては語ることが少なく、息子の私に対しても、ただ、「出されたものは、きちんと全部食べなさい」という躾(しつ)け方だった。いまになって思うと、こういう禁欲的な態度は、彼女がプロテスタントの家庭に育ったことと関係していたのではないか。だが、“おばあちゃん子”で育っている私には、そこからの影響は割に少なく、むしろ、柏餅を黙って買い求める母の姿から、「よっぽど、このお菓子が好きなんやな」と、考えただけだった。

 端午の節句のあと、京都では、もう一度、ちまきが注目を浴びる季節がある。七月の祇園祭で、疫病除けの縁起物として、ちまきが授与されるからである。私が子どものころには、鉾(ほこ)の上から景気よく「ちまき投げ」が行われ、その様子が、テレビのニュースなどでも、しきりに風物詩として報じられた。(近年は、不測の事故をおそれ、「ちまき投げ」は行われていない。)

 大好きなちまきが盛大に撒(ま)かれる「ちまき投げ」の豪儀さに気持ちを奪われ、幼い私の視線は、テレビの画面に釘付けとなってしまう。

 隣で、ステテコ姿の祖父が、

 「あのちまきは、お守りなんやさかいに、団子は入っとらへんで」

 と、笑いながら教えてくれた。

 今年は、どうなるだろうか?

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、山鉾巡行などは、すでに中止が決まっている。それでも、古代以来、夏祭りに託されてきた悪疫退散の祈りが、これほど強い響きで、私たちのなかにも甦(よみがえ)ることになろうとは。「蘇民将来之子孫也」との護符を付したちまきは、この夏、なんとか、我が家の玄関先にも飾りたいものだと思っている。=朝日新聞2020年5月2日掲載