トマス・ジェファソン 権力の技法(上・下) [著]ジョン・ミーチャム

 日本国憲法13条には、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が規定されている。人権を包括的に規定する条文として解釈されているが、生命、自由とともに「幸福追求」がセットになっているのがミソである。この文言は米国の独立宣言に由来するが、それを起草したのが第3代大統領トマス・ジェファソンである。日本との縁浅からぬ人物であるが、多くの読者にとって、名前は聞いたことはあるがよくわからない有名人のベスト3に入るのではないか。
 貴族的な人物である。育ちがよくて振る舞いは優雅、長身で風采がよく、古典から最新の科学まで知らないことがなかった。大地主であり、モンティセロと名づけた丘の上で、自らの趣味を尽くした邸宅に住み、農作業の陣頭に立ち、社交的で客の絶えることがなかった。と聞くと、何だか自分たちとは縁のない人物を想像してしまうかもしれない。
 しかし、本書を読めば、ジェファソンの違う一面も見えてくる。妻を失った後、奴隷身分にあったその異母妹と性的関係にあったことはよく知られている。借金まみれで、子ども家族にはトラブルが絶えなかった。バージニア州知事時代には挫折や失敗も多く、党派争いの渦中で絶えず悪評にも悩まされてきた。ひどい頭痛の持病もあり、その人生はむしろ何とか苦難に耐え続けたものであったことがわかる。政治的にも、奴隷制を道徳的に悪と思いつつ、これを座視したという意味では妥協の人生であった。
 それでもジェファソンは政治人であった。権力の怖さを知りつつ、意志の力で制御しようとした。敵対する人物ともあえて食事を共にし、人間的信頼を維持しようとした。あくまで民主主義を支持し、節度ある農民の共和主義の側に立ち続け、そして政争に勝利した。大統領になり、その上で政治的伝統も築いた。現実の状況の中で譲歩を余儀なくされたが、それでも理念を掲げ、それを人々の理性と同時に感情に訴えながら実現するのが政治だと信じ続けた一生は、やはり貴重である。最後は政敵だった第2代大統領ジョン・アダムズとも和解し、独立記念日にあたる同じ日に亡くなったのが感動的だ。
 政治について否定的なイメージを持つ人は多いだろう。それでも誰かがその権力を担い、少しでも賢明に使いこなすことなしには、状況は悪くなるばかりである。権力に溺れたり、悪用したりする政治家は少なくないが、権力の怖さと意義を自覚した「権力の技法」を知る政治家を生み出すことは必須である。政治家の質を考えざるをえない今日の日本にとっても、遠い国の話ではない。
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Jon Meacham 1969年生まれ。作家、編集者、評論家。米誌「ニューズウィーク」編集長などを務めた。第7代米大統領アンドリュー・ジャクソンを描いた伝記作品(未邦訳)でピュリツァー賞。