コロナを立てれば経済が立たぬ昨今である。

 我が街福岡では緊急事態宣言が解除されたとはいえ、油断のならない日々は当分つづきそうだ。つまり日本経済は、いましばらく苦難の海で息を止めていなければならない。憂さ晴らしを兼ねて夜の街へ繰り出せば、それがたちまち数字に表れる。かといってじっと家にこもっていれば、それで万事解決というわけではない。たとえ病気に罹(かか)らなくとも、急速に疲弊していく経済が巡り巡って、そのうち我々の首を締めつけてくる。作家にとって本の売れ行きは死活だが、本が売れるには読者諸賢の懐に余裕がなければならない。外出自粛に備えて本を買い求める方が増えていると聞くが、やがて家計がじわじわ逼迫(ひっぱく)してくれば、作家たちもそれ相応の痛手を被ることになるだろう。

 「風が吹けば桶屋(おけや)が儲(もう)かる」と言われるが、経済というやつはなにがどう響くかわかったもんじゃない。たとえ大風が吹いて砂埃(すなぼこり)が立ち、そのせいで目を悪くする人が増えたとしても、みんながみんな三味線を始めるわけではない。三味線の需要が増えなければ猫も殺されず、よって鼠(ねずみ)も増えず、つまりは桶も鼠にかじられないので桶屋も儲からない。私は考えた。桶屋が儲からなければ桶屋は本を買い控えるはずだ、桶屋が儲かるにはこの私が桶を買ってやるしかない――。

 と、まあ、こんなロジックで、今月は行きつけのバーを再訪してみることにしたわけである。バーが儲かれば、バーテンダーたちが私の本を買ってくれるかもしれない。たんにおまえが飲みたいだけだろ? それのなにが悪い! みんな持ちつ持たれつだ。それに、ほら、ボブ・マーリーも歌っているじゃないか。

《起きろ
立ち上がれ
おまえの権利のために立ち上がるんだ》

 そんなわけで、私はこのコロナの時代と折り合いをつけるべく、懐かしきバーに足を踏み入れたのだった。私と本欄担当記者のほかには、昨年、朝日新聞の社機「あすか」を飛ばして私を台湾へ連れていってくれたMキャプテンとメカニックのNくんも、渇いた喉(のど)を癒やすべく集まってくれた。

懐かしいバーを訪れテキーラを楽しむ。心地良い時間がゆっくりと流れていった=福岡市中央区薬院

 福岡市舞鶴にある「ガストロパブ エールズ」には、通いはじめて10年くらいは経つだろうか。いちばんの目的はパンクIPAというビールだ。スコットランドの醸造所が造るこのエールビールは、とにかく香りがいい。あのころはたぶん、福岡ではこの店でしか飲めなかった。ビールのことをあれこれ書き出すと紙幅がいくらあっても足りないので、これだけは急いで言っておく。私にとってのパンクIPAは、あらゆるIPAの基準である。パンクに近けりゃ合格、似ても似つかなけりゃおととい来やがれだ。

 この10年のあいだに、福岡でもずいぶんマイクロブルワリーのクラフトビールを出す店が増えた。そのような店は目新しいビールをどんどん開栓して出してくれる。それはそれで楽しいのだが、ビールの品揃(しなぞろ)えだけで店を選ぶほど私はもう若くない。エールズさんのビールの種類はそれほど多くない。定番のもの以外は、せいぜいゲストビールを1種類か2種類、出してくれるくらいだ。しかし、私にはそれで充分(じゅうぶん)だ。食い物は美味(うま)いし、なんといってもくつろげる。そんなくつろいだ雰囲気のなかで、Mキャプテンが定年後の壮大な夢を語ってくれた。なんとビール好きが高じて、マイクロブルワリーを立ち上げるべく計画中だという。私はたちまちこの計画に夢中になり、どうにかMキャプテンに取り入って彼がつくる新しいビールの命名権をいただけないかと、そればかり考えていた。

行きつけのガストロパブ・エールズを訪れ、ブリュードッグ・パンクIPAの空いた樽を抱え笑顔を見せる東山さん

 夜は青白い水のように流れ、夢見がちなおっさんどもは新しいビールのことをうっとり想像しながら薬院にあるバー、「海堀(かいほり)」へと河岸を変えた。

 マスターの海堀さんは私と同じテキーラ・マエストロで、酒に関しては「好きなものを好きなように飲む」という真に正しい態度で臨んでいる。マスターの祖父母の家を改築したという店は、住宅地のなかにひっそりと隠れている。看板はなく、かわりに温かみのある表札がかかっている。一見さんにはちょっと入りづらいかもしれないが、一度勇気を出して入ってしまえば、まったく厳(いか)めしくないマスターがにこにこと愛想よく出迎えてくれる。

 カクテルはどれも小技が効いていて、たとえばジントニックなどにはビターズをちょびっと垂らしてヘミングウェイスタイルにしてくれる。常連である私の場合、指をパチンと鳴らして「いつもの」と言えば、フリオッシュコーヒーが出てくる。これはアイリッシュコーヒーのパロディーのようなオリジナルカクテルで、アイリッシュウイスキーのかわりにドン・フリオというテキーラでこしらえる。熱々のコーヒーと冷たいクリームが二層になっているので、飲むときは上唇の火傷(やけど)に注意したい。いつの日かこのカクテルでおねーちゃんに感銘を与えたいと思っている私だが、この夜はとりあえずおっさんらに感銘を与えたことで良しとした。

青い炎が上がるテキーラに熱々のコーヒーが注がれた

 私の考えでは、想像しうることは最悪ではありえない。想像することができれば、すくなくとも備えることができる。世界がこんなふうになってしまうなんて、いったい誰に想像できただろう? 最悪なことはもう起こってしまった。あとは人間たちが想像力をたくましくして、こんな状況でも楽しくやっていける道を模索するしかない。だから人間は小説を書いたり、無観客試合に夢中になったり、オンライン飲み会で大切な人と出会ったり、新しいビールをつくったり、馴染(なじ)みのバーでひと息つく。それがコロナの時代の新経済秩序なのだ。=朝日新聞2020年6月20日掲載