『去年(こぞ)の雪』(江國香織 著)KADOKAWA

 小説家には魔法を使うタイプの小説家と魔法を使わないタイプの小説家がおり、江國香織はまがうかたなき前者である。

 さらに、使う魔法にもさまざまある。江國香織の魔法は文体憑依にある。ここでは文章を用いて読者の身体に憑依し、まるで書き手のように考えさせる、というようなことである。思考は言葉であり、また体験であるから、この種の小説家は読み手を読書中、また読後しばらくにおいて書き手そのものにする。読んだ文章を「まるで自分が書いたことみたいに」思考し、体験する。時間を置いて憑依状態から脱したとしても、そこには遠くへ旅して戻ってきたあとのような旅情が残る。

 今作『去年の雪』でも遺憾なく発揮されたその魔術的な文体にくわえ、江國香織は登場人物がまるで読者のすぐ隣にいるかのようになまなましく描出する名人でもある。人物たちの気配はまるで「さっき道で会ったかもしれない人」といった、ささやかでありながら奇妙にちかしい印象となる。その射程の広さが十全に披露された今作では、見事な更級日記を訳した著者らしい平安の世から江戸、近現代をたやすく往来し、さらにはこの世ならざる世界、人外の隔て、生死の境などもやすやすと越えていく。そうした越境を実現させたのが文章だけの芸当であるということに、あらためて驚きを禁じえない。

 百人超をかぞえる登場人物たちの織り成す世界の全貌を捉えんとするのは、ともすると難渋かもしれない。人間関係を逐一メモしていった私でさえ、全体を把握したとはとても言えない。

 それとはまた別の次元ではあるが、著者である江國香織でさえ自分がものした小説世界の全貌を把握できるとは限らない。ここまで広がっていった世界で、著者すら書いていない、意図していない登場人物たちの接触が起きていないとは考えられず、その奔放な「書いていないこと同士の交錯」こそが、江國文学の真骨頂ではないだろうか。明らかな越境が意図されている部分以外の、とくに警戒なく読んでいたシークエンスにも、過去未来の風景や声が多重に混ざり込んでいて、読者とともに著者もハッと息をのむ。「混ざり込んでいる」可能世界に思いが及ぶごとにスケールはいや増し、まるで源氏物語を思わせるような壮大があらわれる。

 その驚きすらも著者の文体に収斂されてふくまれている。著者は自分の文章をすべてコントロールできるわけではない。むしろ江國の作品は自分の文章に抗わず、身体自体がその文章に支配されているかのようなままならなさをいつも感じる。そして文章によって憑依された読者という任意の存在が登場人物と同等に小説世界に混ざり込んでいき、それぞれに違う手触りで小説世界に参加することになる、そうして見える世界の新鮮さこそがまさに「読書」なのだと、確信させられる。

えくにかおり/1964年、東京都生まれ。2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞受賞。『冷静と情熱のあいだ Rosso』『彼女たちの場合は』など著書多数。
 

まちやりょうへい/1983年、東京都生まれ。作家。2019年『1R1分34秒』で芥川賞。近著に『坂下あたると、しじょうの宇宙』。

(町屋 良平/週刊文春 2020年3月26日号)