悔しいがお見事としか――。ドラマ『M 愛すべき人がいて』。小説「M」が出て、これまたドラマ化されるというニュースが流れた時、誰が祭りになることを予想しただろう。少なくとも私はコケると思っていた。ところが結果、ドベタなほどのサクセス&ドリーミンなセリフの数々に、コロナ自粛期間のブルーな気持ちがどれだけ助けられたか。「アユ、俺を信じろ!」と叫ぶ三浦翔平演じるマサに「私も信じる信じる!」とテレビに向かって連呼したのも一度や二度ではない。

 そして、マサを信じたついでに浜崎あゆみの全盛期の歌を聴くようになった。そこに広がるのは、ビッグドリームを叶えた人とは思えない「弱さ」のオンパレード。前向きに見える歌詞の中に漂う、永遠に続かないという消費感……。彼女の歌に「こうすればいいのに」「こう考えてみようよ」という提案はない。将来の展望や常識をぶち壊す反抗心もない。ひたすら居場所を探し、自分を見失わないようにする必死さがビッグウェイブとなって押し寄せてくるのだ。


デビュー22周年を迎えた浜崎あゆみ。41歳、1児のママだ ©getty

 

 浜崎あゆみの歌詞の魅力の一つは、この「突然書かされた人しか出せない自信のなさ」だと思う。MAX松浦に「書いてみろ」と勧められ、浜崎あゆみの作詞人生は始まっている。才能を偶然引っ張り出されたのは羨ましい話だが、想像してみよう。コツもわからずヒーヒーと書いてみたら「お前すごいな、才能あるよ」。そしてあれよあれよという間に作品化。次もはよ書けと言われたら、自分ならどうか。嬉しいと同時に不安極まりない。「これでいいの?  ねえ教えて」と戸惑うと思う。歌詞に自分の人生を全部暴露する(孤独感を前面に押し出す)というのは、戦略の一つだったそうだ。しかし「戦略」だけではない自信のなさがダダ漏れた歌詞は、世紀末の混乱と喧騒の中、彷徨い続けるギャルたちの不安と重なった。自発的に歌詞を書こうとする人や、熟練のプロにはどうしても出せない「拙さ」も込みで伝わるものがあり、時代がそれを受け入れたといえる。

『ASAYAN』『egg』『Cawaii!』……女子高生の時代の“光と影”

 浜崎あゆみがデビューしたのは1998年。それまでJPOP界にはコムロブームが吹き荒れ、バラエティーオーディション番組『ASAYAN』が大人気。女子高生は存在自体がブランドと化し、雑誌では『egg』『Cawaii!!』など、プロとはまた違う「読モ」が表紙を飾っていた。力のある業界人にワンチャンスもらえば、シンデレラストーリーも夢ではない時代。若さがとてつもない威力を発揮する時代。これは世紀末の「光」の面である。

 が、当然“あぶれ組”もいる。