『私は本屋が好きでしたーあふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』(永江朗 著)

 息苦しい。怖い。オマエの存在など認められないのだと、詰問されているような気持ちになる――。

 知人である在日コリアンの女性は、そうした理由で、行きつけだった書店から足が遠のいたという。彼女に恐怖を強(し)いているのは、いわゆるヘイト本の存在だ。

 隣国やマイノリティへの差別を煽るヘイト本は、一部の書店の風景を変えた。くすんだ色に染め上げた。ヘイト本が並んだ書店の棚は、まさに差別の発火点だ。

 同じように感じているのはマイノリティだけではない。私も、そして、本書の著者・永江朗もそうだ。

 書店員の経歴を持つ永江は、長きにわたり「本屋」(永江は愛着を持ってそう表現する)を取材してきた。なかでも街の小さな書店を回るのが楽しみだった。そこには店主の個性と、多様な世界観があふれていた。

 なのに、いつしか「本屋をのぞくのが苦痛になった」という。真っ先に視界に飛び込んでくるのは、ヘイト本や日本礼賛本ばかり。ナショナルな空気が充満した狭い部屋に閉じ込められたような感覚に襲われる。

 なぜ、こんなことに――。

 失望と憤りを抱えて、永江は書店員たちに、本の送り手たちに、総当たりした。

 永江を突き動かすのは、個性的な複合型書店として知られるヴィレッジヴァンガードの創業者・菊地敬一から耳にした言葉である。

〈本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ〉

 だからこそヘイト本をとりまく関係者たちに問うた。

 差別と偏見の荒涼とした風景の向こう側に見えてきたのは、書店に主導権のない仕入れ慣行(多くの場合、取次会社の“見計らい”で一方的に書店へ配本される仕組み)と、差別への加担に対する無自覚である。

 強い信念をもってヘイト本を並べている書店など、実はほとんどない。商慣行や一部の需要を理由に、違和感を持ちつつも、「仕方がない」とばかりにヘイト本が今日も書棚に並ぶ。

 まさに“凡庸な悪”。永江は「業界はアイヒマンだらけ」だと訴える。

 だが一方で、寛容は不寛容に対して不寛容であるべきか、といった言葉の前で、永江は揺れる。揺れながら考える。書店はヘイトスピーチやヘイトクライムの燃料を売りにしてもよいのか。少数者の尊厳を無視してもよいのか。その命題にあがきながら、そして出版不況で苦しむ書店の立場にも触れながら、「本屋の明日」を見出していく。

 私も永江の取材を受けた。しんどい取材が続いているであろうことは、永江の厳しく疲れ切った表情から十分に推測できた。本来ならば味方につけなければいけない書店を批判しなければならないのだから。

 だが、永江は書店を突き放しているわけではない。これは「本屋」への求愛だ。誰も殺さないでくれという、永江の心の底からの叫びなのだ。

ながえあきら/1958年生まれ。ライター。書籍輸入会社に勤務ののち、「宝島」「別冊宝島」編集部を経て、フリーランスに。「週刊朝日」などで連載記事を執筆。おもな著書に『「本が売れない」というけれど』、『小さな出版社のつくり方』など。

やすだこういち/1964年生まれ。ジャーナリスト。おもな著書に『ヘイトスピーチ』『「右翼」の戦後史』『団地と移民』など。

(安田 浩一/週刊文春 2020年2月13日号)