『ペスト大流行』著者が語る、最期に家族も会えない「志村けんさんの死」と「非常時の看取り」 から続く

 科学史家の村上陽一郎さんは、日本で行われた「自粛」について、「強権的な政治権力が発動されないままに、実はあげたという珍しい例」と話します。今後は監視型社会の傾向が強まっていくのか、それとも自由型社会が保障されるのか。コロナ後の世界を生きていくために必要な「良識」や「教養」について伺いました。(全2回の2回目/ #1 から続く)


村上さんの近著『 死ねない時代の哲学 』

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独特の言い回しによる行動制限となった「自粛」

――外出自粛の要請がなされていた期間、ご自宅ではどのように過ごされていましたか?

村上 私はふだん「日本アスペン研究所」というところで二十〜三十人の方へセミナーをする仕事をしておりまして、それは当時全てキャンセルになりました。だいたい毎日一回くらいは近所へ散歩や買い物に出かけていましたかね。それでもやっぱり外へ出る時間が少なくなりましたから、家でチェロを弾く時間は増えましたね。

 この間、心に残った音楽というのはいくつもあるんですけれども、NHKで放送されたテレワークでオーケストラプレイヤーの皆さんが合奏したプログラムなどは、一所懸命で、ほろっとしましたね。「三・一一」のあと、仙台フィルハーモニー管弦楽団の活動を紹介するドキュメンタリーも再放送していたものを観ました。

――科学史家として、今回のコロナ禍と社会をどのように俯瞰されていたかお伺いしたいと思います。日本で言えば、まず独特の言い回しによる行動制限となった「自粛」がありました。

村上 強権的な政治権力が発動されないままに、実(じつ)はあげたという珍しい例だと言ってよいと思います。外出自粛、不要不急の外出は控えようという呼びかけであっても、実際にピーク時から感染拡大を悪化させることは防げたわけですし、医療崩壊も招かずに済んだ。

 他の国々では強権が発動されて、中国やヨーロッパでは都市封鎖、ロックダウンが行われましたし、外出制限のほかに、マスクをつけていないと罰金が科されるというような強制もあった。アメリカのように、それでも効果的な抑止に時間のかかっている国もある。その中で日本は成果をあげたと言えると思います。まあ、副総理の麻生さんが言われた「民度が高いから」、という自己満足的発言は、少し配慮が足りなかったかもしれませんが。

アフターコロナは、監視型社会か自由型社会か

――アフターコロナと言われていますが、コロナ後の世界ではさらに権力による監視型社会の傾向が強まっていくのか、それとも自由型社会が保障されるのか。どのようにお考えでしょうか。

村上 非常に悩ましい問題だと思います。今回、強権的な政策をとった最たる国は中国。そもそも従来から個人情報を国家管理のような形で掌握しており、あらゆるところに監視カメラがある。さらには市場の八百屋でさえQRコード決済で買い物をするというのですから、経済行動もいわば監視されているような状態ですね。そういう国であれば、人々の健康も簡単に掌握、管理できるでしょうし、それはパンデミック拡大防止策としては効率が良い。つまり、監視型社会は国民の健康を保障するという見方もできるわけで、支持する層も増えていくかもしれない。