「まだ官房長官を引きずっている」発足1カ月、どこよりも早い《菅義偉政権の通信簿》 から続く

( #1 からつづく)

 菅義偉内閣発足から1カ月が経った。「国民のために働く内閣」というキャッチフレーズを掲げ、矢継ぎ早に政策を打ち出し、発足当初の支持率は大手各紙とも60%以上を記録するロケットスタートを切った菅内閣だが、日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否した問題が表面化すると、発足からわずか1カ月で、各紙とも支持率が低下した。安倍晋三前首相の突然の退陣で誕生した菅内閣。この1カ月で見えてきた「本質」とは何なのか。政治ジャーナリストで白鷗大学名誉教授の後藤謙次氏に聞いた。

◆◆◆


後藤謙次氏 ©文藝春秋

「総論型」の中曽根、安倍、「各論型」の竹下、小泉、菅

 菅総理が目指す「内閣の在り方」はまだ見えづらい部分があるのですが、総理大臣というのは大きく分けて「総論型」と「各論型」に分かれます。「総論型」はまず大きな国家像を描いて、そこに各論を落とし込んでいく。典型的なのは、中曽根康弘元首相で、安倍晋三前首相もそのタイプです。それに対して「各論型」は竹下登元首相のように、「消費税」という国家の根幹にかかわる税制にひたすら取り組み、それを成就させていく、あくまで各論を成就するのに尽力するタイプです。小泉純一郎元首相も郵政民営化の時は一点突破の「各論型」の手法をとりました。菅首相は明らかに後者の「各論型」の総理だと私は思うのですが、政権運営の在り方としては、総論型だった中曽根元首相と同じスタイルを取るのではないかと思います。

 というのも菅首相は自民党史上初の「無派閥」の首相です。党内基盤として、菅グループや二階派がありますが、親分である菅首相のために死んでもいいというほどの結束力を持った支持母体があるわけではありません。中曽根元首相も、自身の派閥の力は弱く、田中(角栄)派の全面協力を得ることで、なんとか総裁選を勝ち抜き、82年に総理大臣になりました。そんな中曽根元首相が党内基盤の脆弱性をカバーするためにとったのは、「国民世論」を味方につけ、自らの指導力を反対勢力に対して発揮することでした。

 菅首相もその手法をとるしかない。携帯料金の値下げや不妊治療の保険適用や、ハンコの廃止など国民に身近な問題に対して、結果を出していくことで、世論の支持を獲得していく。そして、その支持を背景に政権の推進力をつけていく。この方法は政権発足当初うまくいきそうでしたが、日本学術会議の問題で、やや躓いてしまった。「人事の菅」というイメージが前面に出すぎてしまい、世論に対してマイナスに作用してしまったのです。