長谷川晶一前監督からバトンを受けた遠藤です。“謎の男”などと大々的に紹介され、当の本人は腰を抜かしたが、読者の皆さんの頭にはいまだに、誰だよと「?」マークが浮かんでいるのが見えています。監督というエラソーな立場に就いているクセに、“選手時代”の実績がまるでわからんと……。

 そんな画面の前の疑問に答えるべく、私が在籍する「週刊SPA!」の“いち選手”としてどんな仕事をしてきたのかをお伝えしようと思います。

「週刊SPA!」はいかにヤクルトを報じてきたのか?

「週刊SPA!」は1988年創刊、今年の6月で33年目を迎える週刊誌である。発行元は扶桑社という出版社。フジサンケイグループに属し、サンケイスポーツとは同族の関係で、東京ヤクルトスワローズとは“スープの冷めない距離”にあると言っていい。

 しかし、近しい関係(と勝手に私は思ってた)にも関わらず、昔のSPA!誌面にはほとんどヤクルト関連の記事は出てこない。私がSPA!編集部に移籍してきた2008年以前のバックナンバーを漁るとわずかに長嶋一茂、野村克則の短い人物評があった。また、山本コウタロー氏、高田文夫先生が作った「ヤクル党」が歌うオフィシャル応援歌『進め!ヤクルト・スワローズ』(ポニーキャニオン)のCD発売のパブ記事が見られる程度であった。


1993年5月26日号 数少ないヤクルト関連の記事。この年野村ヤクルトは悲願の日本一に ©扶桑社

 私が移籍したときの編集部は当時の編集長以下、数人の編集部員が「虎キチ」で、野球の記事となればほとんどが「虎」。しかも、扶桑社で阪神関連のムック本を数冊作るなど、ヤクルトの“ヤの字”も出せない雰囲気が蔓延してた。

 まんじりともせず、3年ほど経ったある日、私に年始の巻頭企画のお鉢が回ってきた。その名も「2012ブレイク必至の30人」といういかにも正月らしい、新たな年に期待される有名人を各方面から選ぶというものだった。

 そのときピーンと閃いたのが、「ヤクルト悪夢の2011年」の傷も癒えぬなか、小さな希望を感じさせたある男の存在だった。

【2012年1月17日号/山田哲人】

 その男とはいまや押しも押されもせぬ球界のスター、Mr.トリプルスリー・山田哲人。

 取材は2011年の秋、クライマックスシリーズで中日に屈した2週間後に行われた。指定された戸田寮の食堂で待っていると、まだあどけなさが残る、当時19歳の少年が現れた。

「よろしくおねがいします」と頭を垂れた少年の声は驚くほど小さく、どこか自信なさげに見えた。私が「1軍での試合出場ないのに、クライマックスシリーズに出場し、初安打、初打点をあげた、“史上初の快挙”を達成した男ですね」と取材意図を告げつつ、水を向けると「史上初って響き、最高っすね!」と表情を崩したが、それはどこにでもいる「あんちゃん」のようでもあった。

 2010年にドラフト1位でヤクルトに入団した山田は、ルーキーイヤーの2011年は2軍での全試合に出場し羽を休めていたところ、1軍は優勝直前で中日に差されてのV逸。雪辱を誓ったCSのさなか「ヤ戦病院」が発動、ショートがいなくなる中、第2戦で大抜擢。「1番・遊撃」というヤ党をあっといわせるデビューを飾った男だ。

 同期でプロ入りした元祖「もってる男」斎藤佑樹の外れ外れのドラ1、その斎藤から2軍で3安打を放つなど、かねてからなにか「もってる」と感じていた私。そんな気持ちを伝えると「嬉しいっす!」と照れた表情を浮かべるシャイなあんちゃん。

 インタビューは1時間にも及び、高校時代(履正社)の話から、用具へのこだわり(現在のD社製ではなかったがなんと私に自分のグラブをはめさせてくれた)、三遊間を組んだ宮本慎也への畏怖など、饒舌とはいかずとも誠実に語ってくれたのだった。

 後日、掲載誌を球団に送ったら、山田の手元には届いていなかったらしく、不在の私のデスクに「ヤクルト山田様より 雑誌が届いていないと電話あり」とのメモがあった。申し訳ない気分になったのと同時に、電話口に出られなかった自分を呪ったのを覚えている。

【2012年6月26日号/宮本慎也】

 それから半年、5月4日に2000本安打を達成した宮本慎也をSPA!の名物インタビューコーナー「エッジな人々」で取り上げた。編集部に3人いるヤクルトファンの後輩編集者の担当であったが、「いろいろ教えてやる」などと偉そうなことを言って取材現場に同行した。

 神宮球場横のクラブハウスで行われたインタビューだったが、「6さま」ということで取材スタッフは大緊張。そこにニコリともせず現れたユニフォーム姿の宮本は筋骨隆々で、半年前に見た山田とは明らかに違う“プロの体躯”に驚いた私だった。

 取材が始まると固かった表情も「セオリーの上を行く野村野球の真髄」や「外国人投手にめっぽう強い秘訣」などライターさんのマニアック質問に答えるにつれ、柔和に。私がどうしても聞きたかった「PL時代のスローイングの恐怖」を「尾ひれがついた話」と笑って否定したり、勢い余って誌面にはとても書けないオフレコ話がいくつか飛び出したりと、野球を取材する上で、大変勉強になる取材であった。