新型コロナウィルスの影響により異例の3ヶ月遅れで開幕したプロ野球2020年シーズン。

 その開幕第2戦6月20日のPayPayドーム。試合開始の直前だ。スタジアムDJがスターティングメンバーを紹介していく。そして先発投手の名前が読み上げられた瞬間、その選手が勢い良くマウンドへ駆け出すと、背番号から始まる新登場曲「21」が初めてドームに鳴り響いた。

“21 すべての人へ  21 愛する人へ いつも そういつも 見守っていてくれてありがとう”

 21世紀のエースとなることを期待されて王貞治監督から背番号21を与えられ、実にプロ18年目のシーズンに挑む和田毅投手の今季初登板だ。

 登場曲に乗せてピッチング練習を行うその姿は入団時とほとんど変わらないように見える。

“微笑み浮かべ側にいてくれる 強く優しい君に捧げる 一緒にゆこう 輝くダイヤモンドへ”

 私にとって、18年前に願った夢が実現した日となったのだ。


和田毅 ©文藝春秋

いつか必ず和田投手と仕事ができるくらいのプロ歌手に

 2002年、苦しい受験勉強を経て福岡県から早稲田大学進学のため上京した私にとって、東京での生活は刺激に満ちた毎日だった。なかでもその華やかさと伝統を体感したのが神宮球場で観戦した早慶戦だった。

 ちょうど今年NHK連続テレビ小説『エール』でもその誕生の物語が描かれた「紺碧の空」を、仲間達と肩を組み声高らかに歌った。青春の喜びを胸いっぱいに感じていた。

 そんな神宮球場のグランドの中心、一番高い場所に一際輝きを放つエースピッチャーの姿があった。4年生エースの和田毅投手だった。

 白に臙脂のWASEDAのユニフォームが良く似合い、細身のシルエットからしなやかなフォームで慶応の選手からズバズバと三振を奪っていく。応援席では学生達が我がエースの名を実に誇らしく連呼する。私の心にその姿と名前が憧れとともに印象深く刻まれた。

 その頃の早稲田大学野球部には、後にプロ野球界に進む青木宣親選手や鳥谷敬選手、田中浩康選手や武内晋一選手などそうそうたる顔ぶれが揃い4期連続優勝という黄金期に突入していた。優勝を決めると神宮球場から2時間かけて西早稲田のキャンパスまで数万人が連なり提灯行列を行う。応援団とブラスバンドの演奏に率いられて応援歌を歌いながら都内の道路を行進し、その途中ビルの窓から多くの人がこちらに手を振り、早稲田に近づくと花火が上がり紙吹雪が舞う。単なる学生に過ぎない私までもが凱旋というものを体験しているような高揚感に包まれた。

 そしてクライマックスが大隈講堂で行われる優勝報告会、いわゆる祝賀会だ。私はスタンドから遠くに観るしかなかった和田投手と近くで優勝の喜びを分かち合える瞬間を心待ちにしていた。

 しかし残念ながら、歌手になることを目指していた私は、所属していたアカペラサークルの練習と優勝報告会が重なってしまっていたのだ。

 理由をつけて練習を休むこともできたかもしれない。しかし、私は野球でプロになるわけではない。いつか必ず和田投手と仕事ができるくらいのプロ歌手になるという思いに昇華させて練習に打ち込んだ。

ついに訪れた和田投手と対面する日

 あの江川卓投手が築いた東京六大学野球の奪三振記録を塗り替えた和田投手は、ドラフト1位で福岡ダイエーホークスを逆指名した。

 ホークスの選手になりたいと小学校の卒業文集に書いていたほどのホークスファンだった私にとっては、とても嬉しいことであるとともにご縁を感じた。

 かと言って、単なる学生である私にとっては相変わらず和田投手は雲の上の存在であることには変わりがない。プロでも1年目から新人王を受賞し、日本一の胴上げ投手となり、毎年二桁勝利を挙げていくその活躍を遠くから誇らしく応援するばかりであった。

 そんな私がついに和田投手と対面する日が訪れた。

 卒業後も東京駅の駅弁屋でアルバイトを続けながらストリートライブに励み、なんとか2007年にプロデビューした私が、宮崎県のホテルシーガイアのカフェにてライブを行った時のことである。偶然にも春季キャンプに訪れていた福岡ソフトバンクホークスの山口裕二一軍マネジャーがライブを聴いてくださったのだ。そこからご縁ができ、2008年に思い出の神宮球場での交流戦の試合前にグランドにて和田投手にご挨拶をさせていただく機会をいただいた。

 私は学生時代からの溢れんばかりの思いを和田投手に伝えさせてもらった。だが、その反応はクールなものだった。短い挨拶が終わり和田投手は足早にロッカールームに引き上げていった。それはそうだろう。多くの人が集まるスーパースターである。そのような思いを伝える人は私だけではなかっただろう。

 それでもやっとお会いできた喜びを噛み締めながら、グランドを後にしようとしていた私を呼び止める声があった。和田投手だった。

「使っていたものだけど、よかったら」

 愛用のリストバンドを手渡してくれた。ロッカールームに探しに行ってくれていたのだ。とても嬉しかった。和田投手の優しさに触れ宝物をいただいた私は、自分も和田投手に宝物をプレゼントできるくらいの歌手になろうと、改めて決意を強くした。