人は、懸賞だけで生きていけるか? いまから22年前、そんな狂気じみた実験企画に挑戦した若者がいた。

タレント・俳優のなすびさん(44)は、人気番組『進ぬ!電波少年』の企画「懸賞生活」で1998年から1年3ヶ月間、懸賞の賞品だけ生活してみせた。

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22年前、過酷な「懸賞生活」に挑んだなすびさん。企画は高視聴率を獲得し、『懸賞日記』もベストセラーとなった


着ていた服を取り上げられ、全裸でひたすら応募ハガキを書き続ける日々。ドッグフードで食いつなぎ、時には「死」さえも頭をよぎったという。

極限状態で追い詰められながらも、彼が決してあの部屋から逃げ出さなかった理由。そして空腹よりもつらかったこととは――。

実体験をもとにTwitterで新型コロナウイルス感染防止のための外出自粛を呼びかけ、「説得力ありすぎ」と注目を集めるなすびさんが、改めて地獄の日々を振り返った。

嬉しかったのはあの懸賞品

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――懸賞で当てた賞品のなかで、一番嬉しかったもの、記憶に残っているものは何ですか。

やっぱりお米ですね。

懸賞で当たったもので食いつながなきゃいけなかったのですが、米を食べ尽くしてしまった時にドッグフードが当たって。

もともと当選賞金を少しでも稼ぐために応募したんですけど(※懸賞生活の目標は、賞品総額100万円)、生きながらえるためにはやむを得ない。食べなきゃと。

結構長い間、1日3食ドッグフードを食べ続けるっていう、人間の尊厳を失うようなキツイ状況ではありました。

そんなある日、またお米が当たった。これでドッグフードを食べなくても生活できる。人間の食べ物を食べられる…となった時は、嬉しかったです。

ドッグフードの生タイプはキツイ

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ドライタイプのドッグフード


――壮絶すぎる。現在では絶対にできない企画ですね。ちなみにドッグフードってどんな味がするのでしょうか?

缶詰に入っているような生タイプのものは味が薄いんですね。犬の健康を考えてなのかもしれないですけど、ほとんど味がないので生のは相当キツかったです。

僕がずっと食べ続けてたのは、袋に入っているようなドライタイプのもの。

別においしいわけではないですが、それなりに塩味がきいているので、スナック菓子みたいにパリポリ食べられる(※絶対マネしないでください)。

犬があれだけ食べて生きているということは、栄養価的には人間が食べても最低限死なない程度のものは入っているのかなと。

ドッグフード食べたからって人間が犬になるわけじゃない。恥を忍んで食べ続けてましたね。

海外のおみやげで、ちょっと変な味のスナック菓子とかあったりするじゃないですか。「え、何これ? でもまあ、こういう味もありなのかな」みたいな。そういう感じです。

たまに、もう一度食べてみてもいいかな…と、ちょっと懐かしく思い出すこともありますけどね。

一番つらかったのは…

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孤独な懸賞生活の相棒となった、ぬいぐるみの「びーなす」


――逆に懸賞生活で一番つらかったことは?

食べるものがない空腹感はもちろんキツかったですけど、それよりも何よりも一番つらかったのは孤独感です。

1年以上にわたってひとりで、誰ともしゃべることができない。人と会話することができないつらさ。

あの空間にはディレクターさんもいません。ホームビデオにビデオデッキがつながれていて、ビデオをテープを僕が自分で交換して、録画ボタンを押してという。

一応ADさんが来て、ハガキの回収やテープの回収はしてくれていたんですけど、プロデューサーさんから「あいつを孤独にしておいた方が面白いはずだから、しゃべっちゃダメだぞ」みたいなことを指示されていたらしくて。

極限の孤独

Sasinparaksa / Getty Images

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――伝説のプロデューサー、土屋敏男さんですね。

はい。ADさんも泣く泣くそれを守って、日常会話もほとんどせずに仕事だけして帰るみたいな感じでした。

こんなつらい思いをするぐらいだったら、死んだ方がマシじゃないか。なんで僕ひとりだけ、つらい思いをしなきゃならないんだろうと、孤独感に苛まれました。

1年3ヶ月のなかでずっと自分を苦しめ続けたものは、実は孤独感だったのかな、と思います。

――土屋さんとしては、番組を面白くするためにあえて孤独にしておこうと。

そういうことなんだと思いますね。精神的に追い込まれて、極限状況のなかで人間が生み出すものが面白い。みんな、そういうものを見てみたいはずだって。

自分もそうだし、やはり視聴者の人たちも極限のなかの人間の心の動き、そこから湧き出るものを見てみたいんだろうと。

無意識だった「当選の舞」

時事通信

『電波少年』の「Tプロデューサー」として知られた土屋敏男さん


――バラエティーというか人間ドキュメント。

「当選の舞」にしても、僕は正直、放送されていることも知らずにやっていて。

懸賞生活が終わった後にインタビューを受ける機会があった時に、「当選の舞、面白かったですよね」と言われて、「それなんですか?」と聞き返したぐらい意識していなかった。

太古の昔から人間は収穫の喜びを踊りで表現してきた。そういう人間の根源的な喜びの表現が、僕の場合は当選の舞という形になったんだと思います。

懸賞に当たった。これでしばらく生きながらえる。100万円のゴールに近づいた。「やったー!」という思いが、自然に歌となり、踊りになった。

もしかしたら土屋さんが狙っていたのは、そういう部分だったんじゃないかな。そこに皆さんが共感して、「わーやったー! なすび当たった」と喜んでもらえていたというのか。

いまだに「クレイジー・ジャパニーズ」みたいな感じで、海外から取材を受けたりすることがあります。意図せず一生懸命やっていたことが、一番滑稽に見える部分もあるのかなと。

交番に逃げ込まなかった理由

Philaugustavo / Getty Images

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――近くの交番に逃げ込もうかと考えるぐらい、追い詰められていたそうですね。

土屋さんからは後々になって「お前よく逃げ出さなかったな。逃げたら逃げたで面白かったのにな。アハハハハ」と言われました(笑)

僕の場合、逃げる・逃げないの選択肢で、まず一番に頭をよぎったのは「全裸」っていうことなんですよね。

裸のまま外に出たら、公然わいせつになってしまうかもしれない。「監禁されてます」と訴えるにしても、外に出た瞬間に通報されたり、逮捕されたりする可能性があった。

これは僕の個人的な問題でしかないんですけども、実は父親がもともと警察官だったんです。当時はまだ現役で、それなりの役職に就いていたので。

子どものころから、ずっと母親に言われていたのが「何か悪いことしたら、ウチはもう食べていけなくなる。警察のお世話になるようなことは絶対しちゃ駄目だからね」ということ。

僕がもし警察のご厄介になってしまったら、家族にも相当な迷惑がかかる。父親も仕事を辞めなきゃならなくなるんじゃないか、という考えが頭をよぎりました。

でも実は、そんな土屋さんもお父様がもともと警察官だったんです。

監禁されてた方と、監禁してた方の両方の父親が警察官だったっていうのは、因果な話だなと思ったりもするんですけど。

「人間ってここまで残酷になれるんだ」

なすびだ!イベントに呼ばれた!ラジオにも出るよ!ラジオ福島13時から!

— 土屋敏男(NO BORDER) (@TSUCHIYAPr)

――すごい話ですね。せっかく100万円の目標を達成したのに、韓国に連れて行かれて「懸賞生活 in Korea」がスタートした時は絶望したのでは?

解放される、やった!と思った後に「韓国でもう1回」となった時には、正直、頭のなか真っ白で何も考えられなくなりました。

人間ってここまで残酷になれるんだと。

土屋さんはじめスタッフの皆さんはあえて非情に徹していたのだと思いますが、死をも覚悟して臨んでいた僕の気持ちは理解されてなかったのかもしれないですね。

(※人間不信に陥り、しばらくは土屋さんと会うこともできなかったなすびさんですが、現在は和解しています)

そういう意味でいうと、懸賞生活が終わった後に改めて「人間怖いな」と思ったのは、僕があれだけつらい思いをしながら続けていた生活を、世の中の人々が面白がって見ていたということです。

――本当に申し訳ないですが、ゲラゲラ笑ってました。

いえいえ、それはもうバラエティ番組ですし。

景品が当たって、踊って、やった!と喜んでいるシーンをうまくつなげて。テロップや効果音、「なすび、楽しそうにやってます」みたいなナレーションがついたら、そうなんだなと思いますよね。

正直、懸賞生活が終わった後も、しばらくは人間不信がぬぐえなかった。精神的なトラウマを抱えてしまった部分はありました。

番組のイメージとは裏腹に

時事通信

若き日のなすびさん。懸賞生活でブレイクし、俳優デビューも果たした


――ちょんまげ風の髪型や伸ばし放題のヒゲ、楽しげな当選の舞も相まって、当時の視聴者はなすびさんのことを「ちょっと変な人」「面白い人」と捉えていたと思います。

裸で踊ってるイメージが強かったから、世の中の人は不真面目な人間、頭のおかしいヤツだと思ったかもしれません。

だけど、懸賞生活って本当に真面目じゃないと続かない。100万円に近づくために、多い時で1日300枚ぐらい、ただただハガキを書き続けていました。

最初はせいぜい1〜2ヶ月やって「できませんでした」で終わるんじゃないのかな?ぐらいの軽い気持ちでしたが、懸賞が当たることで、なんとか最低限の生活ができるようになってきた。

僕の真面目さというか勤勉さが、実は懸賞生活に向いていたのかなと。

当たった賞品の金額はわからないし、どれぐらいゴールに近づいているのかもわからない。暗いトンネルのなかを、前に進んでいるのか、後ろに戻っているのかもわからないような、手探り状態でした。

終わりの見えない日々

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――いつ終わるかわからない、ゴールが見えない感覚というのは、新型コロナで外出自粛が続くいまの状況にも通じるものがあると思います。

いつまで続くかわからない、という意味ではそうですね。

感染状況が好転しているという実感がなかなか得られず、経済の停滞ということまで考えると、かなり長い影響が残りそうです。

それでも、明けない夜はない。いつかまた自分たちが昔のような生活に戻れるんじゃないか、という希望を持つことはやっぱり必要です。

そのために一番の近道は、不要不急の外出を極力避けること。長期戦になると、精神的にも肉体的にも相当追い込まれてきます。

僕は1年3ヶ月やりましたけど、長引けば長引くほど本当につらいし、その先に待っているのは地獄です。

だったら短期決戦で挑んだ方が絶対いいんですよね。それはもう精神的にも、肉体的にも、社会的にも、経済的な部分で言ってもそうです。

いまは本当につらいし、そのつらさはよくわかります。

なればこそ、なるべく短い時間で済ませましょう。短期決戦できちんと外出自粛をして、部屋に閉じこもる生活をなるべく短くした方がいいですよ、ということは強く訴えかけていきたいですね。

(※インタビューは4月23日に実施しました)

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なすびさん


〈なすび〉 1975年、8月3日生まれ。福島市出身。日本テレビ系『進ぬ!電波少年』の企画「懸賞生活」で1998〜1999年の1年3ヶ月間、日韓を舞台に懸賞のみで生活した。ブレイク後は俳優としての活動も本格化させ、2002年に劇団「なす我儘」を旗揚げ。2011年の東日本大震災後、故郷・福島の復興を祈念してエベレスト登頂に挑戦。雪崩や大地震などで3度の断念を余儀なくされるも、2016年、4度目の正直で登頂に成功した。「あったかふくしま観光交流大使」「安達太良山観光大使」などを歴任。新型コロナで深刻な影響を受けた福島企業の産品を扱う通販サイト「ふくしま!浜・中・会津の困った市」も応援している。